どうやら、高齢化社会というのは。

どうやら、高齢化社会というのは、

僕の想定しているより、はるか上の角度で恐ろしいらしい。

 

先日、

現在、スタンフォード大学で勤務されている池野文昭先生が

大学を卒業されてから、9年間、勤務された地方での体験談をお聞きした。

 

現在の日本の高齢化率は27.5%。

池野先生が当時勤めておられた地方では、

高齢化率が40%だったという。


町の青年団の会長が、58歳だというのだから、

どのくらいの高齢者が多いのかは、推して知るべしだろう。


このまま行くと、2040年から2045年には、日本の平均高齢化率が40%になるという。

老人が老人を介護し、独居老人、痴呆老人が増える社会。

町の産業はなく、みんな社会保障で生きており、税収はない町。

その町には老人ホームはなく、となりの比較的高齢化率の低い町の老人ホームへ、

おじいちゃん、おばあちゃんを輸出する町。


池野先生は想像を絶する世界と話されていた。

ただ、僕には、まだ想像つかなかった。

 

僕が28歳でまだ地元にいたころ、 地元の青年団も親父の次の世代である

40~50代が主軸を張っていたからだ。

彼らはまだまだ元気だった。


けれども、それはもう8年も前の話から、勝手に想像している元気な父親たち。


父は、まだまだ大丈夫と思っていても、

それは今の父ではなく、8年前の父。


それだけ、距離と時間が空いてしまっている。


海外旅行が当たり前の世界になったといっても、

東京から広島に行くのに、新幹線片道で、時間として4時間、2万円ぐらいかかる。


電話や、スカイプなどで、声の距離は縮まったのかもしれない。

ただ、身体の距離はまだまだ離れている。


今の地元は、現実は確実に変わっているのだろう。


僕が知っている一番身近な高齢者は、ばあちゃんだったが、

僕はそのときにはすでに地元を離れていて、その実情を知らない。


2040年は、ちょうどAIが人間の知能を超える時、シンギュラリティーが来ると言われている年。


僕は、今、確実に想定されている高齢化社会という未来に対して、何をするのか。

AIがこの問題を解決してくれることを待つのか、それとも、自分で何かの一歩を踏み出すのか。


僕はまだ勝手に間に合うと思っているのだけれども、

それは地元の今を見ていない勝手な僕の理想世界。


ただ、地方を故郷と思うものとして、故郷を捨てたと思いたくない気持ちだけは、

今、間違いのない事実。


じゃあ、僕は何をするの?

現時点で、まだ、答えはでていない。


だからといって、その答えを他人にもとめても、それは僕の答えではない。

常に自分で答えを探していないと、その答えは絶対に出てこない。

 

そう、僕たちは自分で考えて、答えをだすしかない。

今、この瞬間を生きるために、「今、自分の感じている感情に蓋をしないこと」やってみませんか?

今ここを生きるための方法として、

禅、マインドフルネス、SIY、瞑想など、沢山の方法が世の中には溢れています。

 

それらの方法は、素晴らしいのだと思うのですが、

私が、今、やっている「今を生きるため」にやっている方法は、すごく簡単です。

「今、自分の感じている感情に蓋をしないこと」

 

胸の奥にある自分が今、本当に感じていることを

素直にそのまま出してみる。

もしくは、その感情をより大きくことばにしてみる。

 

嬉しければ、よっしゃーうれしー!!!

悲しければ、ぐすぐす、、、悲しい…。

楽しければ、すげーメチャクチャたのし~!!!

悔しければ、うごォ~~くやしい!!!

 

なぜ、そんなことをやっているかというと、

私は、今まで物事について、

「ポジティブに捉えることが常に正しい」と考えて、

それを実践してきました。

 

自分自身が傷つき、本当に泣き叫びたいときも、

相手の立場にたてば、そうすることも仕方ない、自分が至らなかったのだ、

自分を高めるために、神様が与えてくれた素晴らしい試練なのだ、とずっと考えていたんです。

 

けれども、それらの思いは、私の中では昇華しきれてませんでした。

ずっとずっと、私の心の奥底に、澱みづつけ、ぶすぶすくすぶり続けました。

 

そんな思いには、蓋をしなければならない、

そして、その思いに蓋をしようとするたびに、

こんなネガティブなことを考えてしまうのは、

自分自身の心の修行がたりないから、こんな気持になってしまうのだ。

 

もっとポジティブに、さらにポジティブにと、自分自身を追いこんでいました。

そして、それができない自分を責めてもいました。

そんな状態では、今を生きることなんて出来るわけがないのです。

今の自分を否定しつづけているのですから。

 

それに対して、「今、自分の感じている感情に蓋をしないこと 」 は、今の自分の感情を肯定する行為です。

今、自分が感じている感情は、真実そのものです。

 

その真実そのものをあなたは100%信じることは出来るはずです。

 

あなたの感情はあなたにしかわからないことだし、誰かに否定されることでもありません。

 

例えば、あなたが「嬉しい!!!」って思い、その嬉しさを口に出したとき、

誰かから、「いや、それは違う。あなたは悲しいはずだ!」って言われたとしましょう。

あなたは、「いやいや、私が嬉しいって感じて、嬉しいって行ってるんだから、嬉しいんだよ」と100%の自信を持って答えることが出来るでしょう。

しかし、「感情に蓋をすること」が癖づいてしまうと、それができなくなるんです。

自分は「嬉しい」と思っているのだけど、あの人が「悲しい」と言っているのだから、私は「悲しい」のかもしれない。

感情は「イヤ」なんだけど、空気読めば、「アリ」なのかもとか。

それは、ポジティブの感情であっても、ネガティブな感情であっても同じだと思います。

そうすると、100%絶対であるはずの自分の感情に対してすら、疑いを抱くようになります。

 

この感情という物差しを放棄し続けた結果、

人は、「今この瞬間を感じること」ができなくなってきているのだと、私は考えています。

 

今、この瞬間を生きるために、「今、自分の感じている感情に蓋をしないこと」やってみませんか?

僕たちは、価値の転換期に生きているのかもしれない。

お金を循環させる循環型社会。

信用を基礎媒体とし、自分が使い必要のなくなったものを次の世代に渡すという社会

その中で必要なものは、輸送費で、整備費だけ、

物質そのものに対して価値がなくなる世界。

しかし、そんな世界が来るのだろうか。

富を得たことのある人は、その富を手放そうとはしない。

超優秀外資系企業に務める男前の友人

循環型経済なんて実現できない。

お金の価値を0にすることなんてできない。

なぜなら、僕は美味しいもの食べたいから。

知っちゃったから、それをまた食べたいと思う。

僕は資本主義社会を否定することはできない。

という。

 

自分自身も考えると、コンビニのない生活は、想像できない…。こともないか。

インターネットのない生活、Amazonがない生活は想像できないなぁ。

それだけお世話になっているし、利用している。

 

今、得てしまっているものを、全部捨てて、昔の農民のような暮らしをすることができるだろうか。

 

僕自身は、ある一定額以上のお金があれば、それ以上は必要ないと感じているんだけれども、

それは、理想とする金額以上を稼いでいないからだけなのかもしれない。

 

自分だけであれば、問題ないのだけども、まだ見ぬ自分の子供に影響をあたえるとなると、

う~ん、と考えてしまう。

 

何かと何かを比べることによって、

僕たちは経済を発達させてきた。

その比べる基準として使ってきたのはお金。

 

そのお金という基準を手放すこと。

 

もしかするとお金という基準が変わるだけで、

別の基準に変わるだけなのかもしれない。

信用とか。歴史とか。

ただ、僕たちは価値を比べることはなくならない気がする。


人は比べることはやめない。

なぜなら、人は増えることに喜びを感じ、減ることに痛みを感じるからだ。

その感情は、教育では変わらない。

 

ただ、その比べるための基準が変わる、価値を測定する方法が変わる。

 

そんな時代の転換期に僕たちは生きているのかもしれない。

「今、自分に何をできるのか」にコミットすればいい。

今、サムライ塾という場で、禅や日本の歴史、サムライの心など、多種多様なことを学んでます。

 

その場に、参加されている人は、務めている企業も上場大企業ばかりですし、

自分で起業している人もいます。

 

そんな自分が最下層という場で学んでいるのですが、

面白いなぁと思っていることは、

 

すごい企業に務めている人、すごい経歴を持っている人も、

僕と同じようなことで悩んでいるし、

僕ができることで、できないこともある。

僕が知っていることで、知らないこともある。

 

まぁ、その逆で、僕ができない、持っていない、知らないことの方が多いのですが、

それは、お互い様ということにしておきます。

 

自分ができないこと、できていないことに、目を向けて、凹むのではなく、

「今、自分が何をできるか」に目を向けて、コミットすればいい。

自分の心の底にある本当の気持ちを大切にして、
「今、自分が何をしたいのか」を言葉にすればいい。

今、この瞬間を大切にしていこう。

日本最大の湖を泳いた件 その①

8月の最終週に
琵琶湖クロススイムに参加してきました。

琵琶湖の東西の雄、高島市→彦根市へと
1チーム6名で 6時間以内に泳いで渡るというリレーレース。
ルールは、最初は一人30分ずつ泳ぎ、その後は10分毎に交代するというシンプルなものです。

 

グーグル先生によると、琵琶湖のウエストは約16kmということ。
単純計算で一人の担当は、2.67kmとなります。
もちろん、一直線で泳ぐことなんてできませんから、一人3kmは泳ぐことになるでしょう。

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一年前の僕であれば、その距離に恐れおののいていたでしょう。
3kmなんて泳げるわけ無いじゃん!と。

しかし、今の僕は、宮古島トライアスロン、長崎五島バラモンキングというロング2本を完走した経験があります。
それぞれ、スイムで3km、3.8kmをおよいだ実績があるわけです。

海に比べれば、湖なんて、波も小さいだろうし、水もしょっぱくない。
しかも30分泳げば後は10分交代なんて、 楽勝でしょう!!!

 

前日の琵琶湖試泳。

 

そんな浮ついた僕を琵琶湖は優しく受け止めてくれました。

その日の琵琶湖は風により波が発生しており、その波がピチャピチャではなく、うねりのように
2メートルの波として襲ってきます。

 

カッコだけでもOWSっぽくするためにウェットスーツ無しで泳いでみたところ、
私の体に標準装備している腹回り浮き輪が全く機能しません。


僕の腹回り浮き輪は高機能で、海であれば、ちょっと搔くだけで、浮くことができるのです。
プカプカチャプチャプできるのです。


しかし、琵琶湖ではそれができない。
このフローボティをもってしてもビクとも浮かない。


沈む。。。おもりを背負っているとしか思えん。。

 

そして、浮かないから必死でバチャバチャしている状況で襲ってくる波。


しょっぱくはない。
たが、鯉の死体が浮いている飲みたくはない水をしこたま飲むことになりました。


スイムで初めて死を意識しました。
あー無理、溺れる〜、これ死ぬ。


結論、
明日、絶対ウェット着る。


そう思った琵琶湖クロススイムの前日。

どんな涙を流したいのだろう。

僕は、小学校1年生まで大阪の枚方市で育った。
建築会社で働く父の勤務先が大阪だったからだ。

 

僕の記憶にある家は、鉄筋コンクリートの4階建ビル。
階段が2つあり、それぞれの階段左右に3Kぐらいの部屋があり、全部で16部屋、
父親の会社の社宅だった。

 

全部で16家族、厳密には、1部屋2部屋は、会社の独身の男性たちが共同生活を行う寮みたいになっていたので、
もう少し少なかったかも知れない。
父親は団塊の世代。

今のように晩婚化が進んでもいなかったので、
同世代の家族がほとんどだったと思う。

 

両親の年齢も近く、その子どもたちの年令もほどんど同じだった。
全部合わせると10人ぐらいの子供が住んでいただろうか。

 

そんな社宅に僕は住んでいた。
社宅の裏にはスベリ台やブランコがあり、小さな公園のようになっていた。
毎日、裏の公園で友達と遊んでいた。

 

ボールを蹴ったり、鬼ごっこをしたりしていた。
小さい頃から、僕は足は遅かったのだろう。


鬼ごっこの時に、誰にもタッチできなくて、
ず~~~と鬼になったことがあった。
悔しくて泣きながら追いかけた。

タッチできないことが悔しいというよりも寂しかったのか、
それからも、タッチできないと泣きながら鬼ごっこをやっていた。


ある日、4階の家からそれを眺めていた母親が、
僕が泣いている事に気づき、慌てておりてきた。


泣きながら、鬼をやっているので、
いじめられているとでも思ったのだろう。


僕は、別にいじめられているわけではなく、ただ単純にタッチできなくて悔しくて泣いていただけで、
泣くとダッシュのスピートが速くなるとみんなも言ってたから、自分の中では秘密兵器みたいに思ってた。

その時、母親からなんて言われたかは覚えていないけど、
鬼ごっこで泣くことは、余りよろしいことではないということを知り、
それ以来、鬼ごっこで泣くことはなくなった。


けれど、最近、あの頃のような涙をよく流す。
初段プロジェクトで自分ひとり、昇段試験を受けれなかったあと、
深酒をして、感極まって泣いた。
よくわからんけど、泣いた。


ある勉強会で知り合った人達のカラオケでなぜか涙が止まらなくなった。
よくわからんけど、泣いた。

クールを気取るつもりもないし、別に人前で泣くことも構わないのだけど、
最近、簡単に泣いてしまう。


泣けるほどの努力をしたのかって言われると、NOで、
僕の涙は、努力が報われなかった涙ではなく、
その努力をしなかった自分が悔しくて涙がでてくるのだ。

ただ、そういう涙はよろしくないことも思い出してきている。
泣くならこっちの涙の方がいい。

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ウェットスーツには種類があるんだということを知って欲しい件

日曜日に、OWS(open water swim)の講習会に参加してきました。
スイムフォームについて、秘宝とも呼べるコツを大量に教えていただいたのですが、すぐに成果が出来るわけもなく。。。
ブルーオーシャンを求める私の癖のため、人の居ない方向いき、蛇行蛇行で、コースって何?という姿勢で、総計4.8kmをバタバタをしておりました。
というよりも、今回は、私がお伝えしたいのは、昨日習ったことではなく、私の知っている(経験した)ウェットスーツのことになのであります。

 

ウェットスーツには種類がある。

初めてのトライアスロンのために、レンタルしたウェットスーツ。
色々探して、通常だと、一週間1諭吉ぐらいのところが、一週間で2000円!!!
これだ!めっちゃ安い!!と、レンタル注文したんです、、、

届いた実物を見るとがなんかモフモフしてるんですよ。
前に、練習用に借りたやつとか、チームメイトが持ってる奴は、もっとシュッとしてた気がする…
でも、よくわからんし、まぁいいかと、九十九里に、それで参加したんです。そしたら、

ベイマックスっていわれたんです。


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まぁ、本体のフォルムがベイマックスみたいという話もあるんだけど。。。

実際にレンタルしたウェットは、チームメイトのものと比べると、表面のラバー加工みたいなのがされておらず、モフモフしてるんだ。すげー遅そう。

十九里のスイム競技の救助隊で、海底調査担当の方が着てたウェットと同じ素材だったので、速く泳ぐというタイプではなったんだろうね。
モフモフしながら、1.5km。足攣って、4の字で泳いた。

安すぎるレンタルウェットはスキューバ用かもしれない。

単純に、需要と供給の話です。

普通に考えて、競技人口が
スキューバ>サーフィン>トライアスロン・OWS
ですよね。

トライアスロンなんてものに手を出している奴なんて、少数すぎるので、
トライアスロン用のウェットは高くなります。

安いレンタルウェットはその用途が何なのかをよく調べる必要があるかと思います。

っても、誤差だから気にしない。

ウェットがスキューバ用だから、トライアスロン用だからとか、それが問題かって言ったら、僕のような初心者、そして、De部にしたら、全くの誤差ですから、全く気にしないでください。

それよりも、元気に健康に、完走するってことが、まず第一です。
De部の5kgは誤差って言ってます。

それに比べれば、ウェットの種類なんて、議論の対象にすらなりません。
それよりも、1kg減らしたほうがよっぽどタイムは上がるでしょう。

ということで、ウェットの種類よりもトライアスロンを楽しみましょうというお話でした。

そうめんは流すことで3倍美味くなる。

本日は鎌倉のシェアハウス「たけのこ庵」の流しそうめんイベントに参加してきました。


まずは鎌倉に移動。
1時間半です。


そこから、藤沢行きのバスに乗り、常磐口でおります。

バス停から徒歩2分で到着です。

 

今回の流しそうめん、竹を切りだし、流し台?を作ることから始まります。

私が到着した際には、すでに竹は切りだされており、1本の竹は半分に割られていましたが、

まぁまだまだ仕事はあります。


女性(流しそうめん監督)1名、男3名の総勢4名でそうめん台を作り上げます。


太めの竹を縦半分に割り、それらの節をとり、水とそうめんが流れるようにします。
3本の竹を組み合わせて足場を作り、その上に半分に割った竹をのせ、水が流れるようにセットします。


ここまでで2時間ぐらいでしょうか。


はっきり言って、組み上げるまで別段楽しいものではありません。
子供の頃、地元の青年団(父親たち)の皆様にやっていただいた流しそうめんを思い出していました。
オヤジたちもこうやって作ってたなぁと。

しかし、ある一瞬でその苦労は昇華され、恍惚へと変貌を遂げます。


それは、水を流した瞬間です。

自分たちが作った水路に水が流れ、竹を連結する段差で、滝を創りだす。

それはそれは美しい光景でした。

流した水で、竹の水路にあるゴミを洗い出し、そうめんが流れても問題ない程度に

綺麗にします。

 

その後はそうめんを流し食べるだけ。

 

大量に薬味を入れためんつゆを持ち、流しそうめん台の横に陣取ります。


そうめんリーダーから発せられる「いきま~す」という声に合わせて、

準備をして、流れてくるそうめんをすくい取り、つゆにつけ、食す。


ここでも恍惚を味わいました。


いつも食べているそうめんの3倍はうまいと言うことができるでしょう。

流し台を作ったという心のスパイスなのか、それとも青竹から溶出した何らかのエキスが

そうめんに作用するのでしょうか。それとも子供の頃の父親の背中を思い出すのか。


水が流れ、そうめんが流れる様が、鎌倉の夏に、一服の清涼感を感じさせてくれます。

 

正確な答えはわかりません。

ただただ、そうめんを流すと

普段の3倍、美味い。

 

炭水化物抜きをしているにもかかわらず、終始そうめん台横を陣取った一日。
そういう日もあるさ。

低温調理を成功させるたった一つのこと

炭水化物ダイエットに励んでいる皆様

こんばんは。

 

最近、僕が知ったことをシェアさせていただきます。

炭水化物を制限すると、食べられるものが、限られてきますよね。

今まで大好きだったラーメン、丼もん、ハンバーガー、カレーも禁止です。

 

おいおい、飲み物(カレー)を禁止したら、口に入れるもんねーじゃねーか!

 

と、激おこプンプン丸だと思うのですが、

こちらを見て欲しいのです。

 

http://www.americanmeat.jp/csm/recipe/special/weekend_gochipo/

こちらです。

 

ブタが同種族を食べることをすすめるという反逆者のサイトですが、

レシピはまっとうです。

 

全てのレシピがうまいのですが、その中でのオススメがベジポークです。

余熱なし150℃で40~50分オーブンするだけ。

火を使わず、放置できるため、調理している間、別のこともできる。

さらに、低温でじっくり調理した肉は、フライパンで焼くよりも、美味しいんです。

 

そして、豚肉だけでなく、鳥の胸肉などパサパサになりがちな肉が、

しっとりジューシーに焼き上がります。

 

1kgの肉をオーブンすれば、パーティー料理にもなります。

 

こんなオススメの低温オーブン調理を、何度も作ってみて、これをはずさなければ

絶対上手くできるというたった一つのことをシェアいたします。

 

それは、

 

「電子レンジの温度表示を信じないこと」

 

150℃で30分、180℃10分というお手軽レシピなんのですが、

150℃でオーブンをセットすると中が生なのです。

あんまり美味しくないって、所詮お手軽レシピなんてこんなもんかと思いがちなのですが、

そうじゃないのです。

 

SATO 調理用温度計 オーブンメータ No.1726

SATO 調理用温度計 オーブンメータ No.1726

 

によると、僕のオーブンは170℃セットした時に150℃になるのです。

 

そこで、170℃でセットすると、ベジポークがしっとりジュージーに仕上がります。

 

自己評価よりも他人の評価の方が正しいというわかりやすい事例ですね。

 

ということで、うちのオーブンでは、170℃ 40分がスタンダードとなっております。

 

みなさまも、ご自身のオーブンで最適な150℃を探し当ててみてください。

 

我が家にあるSATOは、すでに役目を終えたため、暇をしております。

いつでも貸し出しますので、興味のある方はお声がけください。

幸せってなんだっけ

幸せになる方法が大きく変わっています。

いい大学に入って、良い就職先に入り、そこで最後まで務め上げる。
一昔前、僕が学生の頃までに知っていた方法でした。

その次の方法は、いい大学に入り、ベンチャー企業に入り、どこでも生きていけるスキルを身につけるってこと。

その次は、もっとシンプルになり、
いい大学に入りってのが除かれ、どこでも生きていけるスキルを身につけることが幸せになる方法となりました。

そして、googleのSIY、ジョブスの禅など、今の主流は、今を楽しむこと、今に心を集中させるってことが幸せになる方法となっています。


幸せになる方法というか、基準が変わっているのです。

新しいことを得ることから、今あるもので満たされているという基準。

「足るを知る」という基準。


でもね。。。わかった気がしてるけど、まだ納得できていないのです。

今に集中することで幸せになるってことには疑問はないのですが、
未来に対する不安を除くことのできない状態での幸せってない気がするのです。

 

今の自分が、プロのノマド(ホームレス)になり、毎日瞑想したとしても、「今が幸せです!!!」とは言える気がしないからです。

どこででも生きていけるスキルを身につけ、お金も稼ぐこともできるけど、
今の自分には必要ないから、あまりお金を稼ぐことに特化せずに、自分の内面に向き合い、幸せを得る。
という順番なのであれば、納得できるのです。

ということで、今の僕に必要なのは、

「どこでも生きていけるスキルを因数分解して、一つづつ埋めていく作業」と考えているという話です。

今の自分の幸せを実感しながら。

幸せってなんだっけなんだっけ。

ポン酢しょうゆのある家さ。

で、ポン酢しょうゆを買い続けるには、これをやろう。


って、感じで。

さぁ、楽しんでやってみよう。