チェックすること、オーダーの粒度が大切だ。

人に仕事をお願いする時、任せることは任せるのですが、

チェックすること、オーダーの粒度が重要だ、ということを痛感しました。

 

月次の仕事で、新しいメンバーに最後の数値を合わせておいて、とお願いしました。

 

かなり業務にもなれてきていたので、問題は無いと考えていたのですが、

最後にチェックすると、数値はあっているのですが、途中で抜け漏れがありました。

 

各自、任された内容を、それぞれのレベルで対応しています。

それぞれのレベルでというところが問題です。

それぞれ、精一杯行っているのだけども、そのレベルが足りていないことがあります。

 

サムライ塾でも、自分自身が任されたことを、自分基準で行ってしまい、

塾長の基準に至らなかったことが多数あります。

 

今回の例でいえば、最後に数値を合わせておいてというのは、

私にとっては、途中も合わせて欲しい、関係する数値も合わせて欲しいということでした。

 

自分にとっての当たり前と相手にとっての当たり前は違う。

その差を認識してオーダーすること。

完全にオーダーが間違っていました。

 

チェックすること、オーダーの粒度を考えること。

さぁ楽しんでやってみよう。

一汁一菜でよいという提案

土井善晴さんの提唱する「一汁一菜」を続けています。

日本食を守るために、食事は味噌汁とご飯という最もシンプルな和食でよいという考え方です。

男一人、味噌汁を作り、啜る。
炊いておいたご飯をチンして、ラップのまま齧る。

寂しいような、誇らしいような。

コンビニで、朝から200円の栄養ドリンクとコンビニおにぎりを食べるより、
健康的で人間的な生活を送っていると思います。

しかし、僕にとって、朝早く起き、自分のために何かを作るという行為は、なかなかハードルの高い行為です。

そこで、続けるために、2つのことを意識しています。
・美味しいこと(味噌をケチらない。好きな味噌を買う)
・簡単なこと(行平鍋一杯のみ、沢山作らない。洗い物を少なくする)

時間が無いときは、味噌と卵をお椀にいれて、お湯を入れるだけです。
好きな味噌であれば、それだけだけでも美味いです。

毎日続けることで、自分の中にもリズムが生まれてくるでしょう。

身体が欲しているのか、味噌汁が美味い。

まずは、できることから。

さぁ楽しんでやってみよう。

 

健康は一日にしてならず。

本日も、手足のしびれを取るために神楽坂のウナギ整骨院(http://www.unahone.net/diary/)に行ってきました。
院長の加藤さんとお会いしたのは確か3年位前。
毎日ブログを書かれていて、井ノ上元帥のブログを絶賛されていました。
【今日も絶賛されてました】
3年前は1店舗だけであった整骨院も今や3店舗。
ブログも、店舗展開も凄い勢いですね。とお聞きすると、
「チリツモですよ。ブログから入ってくる人も増えてきました。
身体も同じで、一気には治りません。
少しずつ毎日予防することが大切なんです。
人生にウルトラCがないのと同じように、健康にもウルトラCは無いんです。
まだ身体に歪みがあるので、コツコツと、来院してくださいね。
骨盤の歪みが治ったら、マラソンのタイムも伸びますから」
このセールストークにやられて3年前から、院長のファンである。
なぜここに通うのかと言うと、理由は3つある。
1,加藤院長の人柄がブログから溢れ出てきているから。(http://www.unahone.net/diary/)
ご自身で研究、実践されてきたことを日々発信され、その蓄積がボディーブローの用に溜まってしまったから。
この人になら、身体を任せてもいい、影響を受けてもいい、お前はもう来院している!という状態になってしまっている。
自転車通勤の話であったり、セブンイレブンの新しいお菓子の話など、健康に対して全く関係のない話であっても、加藤院長の人柄がにじみ出てくるブログである。
2,年中無休、夜9時まで開いている、予約が必要ない。
いつ何時、身体に違和感を感じるか、分からない。
そんなときにいつでも駆け込めるという安心感に、僕は惹かれる。
緊急事態だからこそ、今まで身体を見てくれていた人に見てもらいたいと思う。
今回も、別の整体に何度も行ったのだが、右手のしびれが楽にならないので、急遽向かった。
夜9時までに来院すれば、治療してくれるというのも、仕事帰りに非常によりやすい。

(したほうがいいのかもしれないが)予約が必要ないというのもありがたい。
3,料金がお求めやすい。
そして、何より何より嬉しいのが、治療料金が安いことである。
整体に行くと帰り際に、「2回目が大切ですから、続けてくださいね」とよく言われるが、1回5,000円だと続けられるか!と思う。健康に値段をつけるのですか?と言われたら、健康プライスレスと答えるが、本音は5000円を何回続ければいいんだいと思ってしまう。
以前行ったゴットハンドは1回で14,000円だった。
「続けてくださいね。次回の予約はいつにしますか。」と言われても
「また、連絡します(苦笑)」という対応しか取れなかった。
しかし、ウナギ整骨院の場合は、
医療保険を使って昨日の初回が2,000円、本日が1,000円である。
また来てくださいね。日々の予防が大切ですからね。と言われて、わかりました!
躊躇せず、言えるのだ。
加藤院長の言っていることと料金設定がマッチしている。
前回行ったのはバラモンキングの最終調整の時だったと思う。
いつも、ギリギリで身体が痛くなり、加藤院長に頼んでしまう自分がいる。
「ゴットハンドなんていないですよ。一回では治りません。
日々の積み重ねです。予防が大切。矯正は一日にしてならず。 」
言い換えると、健康(人生)の先の先を取ること。
加藤院長のセールストークだろと思いながら、
人生の真理だなとも思っている。
加藤院長はゴットハンドはいないと言われるが、僕の中では加藤院長はゴットハンドだ。
今日も、気持ちよく調整してもらった。
健康は一日にしてならず。
また、行こう。

入院していたおっちゃんに学ぶ「自分の追い込み方」


先日、足が動かなくなり、
1日だけ入院してきたのですが、
その際に僕と同じように松葉杖をついたおっちゃんが
病院で携帯電話を使いながら、話していました。
 
携帯電話使っちゃだめだろう。
って、今書きながら気がついたのですが、
そのおっちゃんの言っていたことが、今の自分にドンズバで必要な言葉だったので、驚きました。
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おっちゃん、怒鳴りながら、
「厳しく言えよ!
相手に厳しく言ったら自分にも厳しくなんだから!
お前は甘いところがあるから相手に対して厳しく言え!
そういうもんなんだよ!」
自分ができていないことを相手に要求することは非常に勇気が必要なことです。
相手から、「そんな偉そうなこと言ってるけどお前できてないじゃん」と、ぐうの根も出ないクロスカウンターを合わせられる可能性があるからです。
だから、人は「自分もまだできていないですけど」「まだまだ、勉強中なんですけど」という枕詞を操り、自分を守りつつ、「お前、やれよ」というパンチを打つのです。
思いつきで、ボクシングに例えで見ましたけれども、結構上手く例えている気がします。守りながら、うつパンチはダメージを与えられそうにありません。
ダメージを与えるパンチと言うのは、カウンターの危険もあるが、そこは顧みず、相手を倒すために、撃ち抜くパンチなのではないでしょうか。
サムライ塾でよく使う言葉に、「棚上げ」と言う言葉があります。
自分のことは3メートル棚に上げて、相手に対して突っ込む行為のことです。
たとえ自分ができていないことだとしても、相手が求めている目標、世界に向かうために必要なことであれば言う、という相手を次のステージにすすめるための行為です。
そこに自分がつめられたたら、という邪念はありません。
純粋に相手に次にステージに行ってほしいという思いだけです。
今、サムライ塾では、5期メンバーが自分と向き合い、それを出すという最終段階に入っています。
自分のことを棚に上げて、5期の求めている目標に進むための言葉をかけます。
さあ楽しんでやってみよう。

負のループを断ち切るには。

身体は大事です。

 

風邪を引いて、咳が止まらない。治らない。

頚椎のヘルニアが悪化して、右手がしびれる。

腰の打撲で、両足がしびれる。

月次業務の締め切りが近づいている。

サムライ塾が佳境に迫っている。

それぞれの要因が絡まり合い。
全てにおいて、後手になっている。
この圧倒的悪循環のスタートは???と考えると、
サムライ塾の会場決めで後手をとったこと。
もしも、新しい可能性ができたらとか考えて、決めきれなかったこと。
今後の対策は、さっさと決める(切る)こと。
そのためには、決めた(切った)ことで、悪い状態になったとしても、
それを受け止めると、覚悟すること。

自分で決めて、その結果を「うけたもう」するということ。

 

先の先をとり、すべてを想定した上で「うけたもう」と言える漢となりたい。

そのために、文章を書く、身体を鍛える、掃除をする、早く寝て睡眠時間を確保する。
そして、心の余裕を持つこと。
日々の精進が大切。
日々の精進が心の余裕、身体の余裕を生みだす。
さぁ楽しんでやってみよう。

関税割当申請時に感じた、この仕事なくなるんじゃないか感。

会社で革製品を輸入しているのですが、その際に関税割当というものを利用しています。

関税割当制度とは、輸入される商品の国内の総需要からの一定数に対して、無税、もしくは低率の税額となる制度です。(需要者保護のため)

一定数を超えた場合は、高税率の関税となります。(国内産業の保護のため)。

関税割当を希望する業者は、希望の割当数量を申請しますが、全希望数量が認められるとは限りません。
各業者の昨年の実績・希望数量を勘案し、総需要から算出された一定数をそれぞれの業者に振り分けます。

今年は私がその関税割当の申請を行い、無事に割り当てを得るとができました。

めんどくさいな、と思うのは、申請を出すチャンスが、一年に3日しか無いことです。しかも郵送不可。
その期間中に、必要書類を抱えて、エッサホイサと窓口に向かわなければなりません。

もし、申請書類に間違いがあれば、3日のうちに必要な追加書類を揃えて、再提出しなければなりません。はっきり言って、期間短すぎ。もっと長くするか、Webでの申請を認めるべきだ。

今回始めて申請業務を行ったのですが、40~50代のおじさまが窓口に持っていった書類一式に不備がないかをチェックされます。

良いご年齢ですので、お給料もそれなりに貰われていることでしょう。そんなおじさまが書類のチェックチェックチェック。実にもったいない。

もちろん大事な仕事であることはわかっています。
申請する権限の無い悪質な業者を排除するために、チェックチェックチェック。
おじさまは業務を遂行されます。

ただ、この業務って、AIが画像認識で文字認識出来るようになれば、なくなるよね。というよりも、画像認識ソフトを使って、Webで申請出来るようになれば、申請する側も受理する側も、もっと楽になるよね。

必要のない仕事を守るために、僕らの税金を使わないでほしい。

既得権を捨てる勇気があれば。もっともっと楽にできるよね。

自分も今やっている仕事(作業)を手放そう。
見えなくなっているのかもしれない。
知らないうちに仕事を既得権にしてしまっていないか。
いらないものは手放そう。レスポンスを早くしよう。

政府の業務全てがIT化した国、エストニアでは、今あるものを変えること、なくすことに価値があるという価値観であると聞いた。

今の仕事、作業を手放す。
日本を生産性の高い国にするために、まずは自分自身の生産性を圧倒的に高める。

さぁ楽しんでやってみよう。

 

よくわからないアンケートはやめて欲しい。

会社で総務経理を担当しているとよくわからないアンケート?が大量に送られてくる。

会社の売上規模は?従業員人数は?事業所数は?リサイクルやってます?
包装紙はどのくらい使いました?などなど。

包装紙どのくらい使いました?など、包装紙の管理簿を作る必要がありますなどと、
無茶苦茶なことを求めてくる。そういうルールです!知らんがな。

どこかで完了した方々が新しく団体を作り、それぞれが別々のアンケートを求めてくる。
マイナンバーを会社につけたんだから、それと決算書を紐付けてくれればええやん。
そしたら、無駄なアンケートに時間を取られんでも済む。

そもそも何のためにやっているのかの理由がよくわからん。
リサイクル費用を公平に負担させるなら、なぜ、なんとか団体ではなく国が税金でやってほしい。ガソリン税みたいに、包装紙っぽいものを購入する際に、直接課税して欲しい。後からいくら使いましたか?なんて言われても知らんがな。
結局どれだけ仕入れたかによって、報告数が決まるのだから、先に取る仕組み作ってよ。

昨年の売上、従業員数の入力など、何度も何度もやらなきゃならん身にもなれよ。
それぞれのアンケートで、サイトが違うとか、IEしか対応してません、とか、用紙の様式が違うとか、めんどくさいったら、ありゃしない。

用紙の様式が違うといえば、各市区町村に送る給与支払報告書。
それぞれの市区町村がそれぞれのフォーマットで書類を送ってくる。
形や記入する場所が違うから、保存もめんどくさいし、記入するのにも混乱する。
結局、給与ソフトから吐き出した同一フォーマットで送り返す。

印刷会社との癒着もあるのかもしれないけど、国が一手に行えばいいのに。
そういえば、マイナンバーで目指してることって、国が一括管理することだよね。
であれば、マイナンバー賛成。さっさとやっちゃって。中途半端な今の時間が一番めんどくさい。

NHKもNHKが国民からお金を直接集めようとするから、拒否がでるのだ。
税金として先に徴収して欲しい。

NHKに依頼された下請け会社が、一世帯ごとを個別で回って集めるより、よほど時間と費用、手間がかからない。今ある仕組みを使えよ。

テレビのない人はどうするんだななど、文句が出るかもしれんけど、国民全員で負担するのだから、それはテレビを見ない自由を取った人が追うべきこと。知らんがな、で通せばいい。

国としての生産性が上がらない業務をやってる場合ではないよ。

就業人口はこれから急激に減っていくんだよ。
働き方改革で業務時間も減らさなきゃならないんだよ。

何に使ってるかわからないアンケートに時間を使っている暇はないのだよ。

と、アンケートに答えない理由を作って、先延ばしにして、後になると、しんどくなるのは自分なのだ。

身体は目標を達成するために重要なリソースである。

15年前に首のヘルニアを患ったのだが、どうも疲れてくると
右手にしびれが出てくる。右手、右肩に気持ち悪いので、グルグル回す、伸ばす。
仕事中に突然行うため、隣のHくんが「なんだこの変態」という目で見てくる。
そうなると仕事に支障が出てくる。
「変態」という視線を十分に味わった後に、整体に行く。

最近も右手にしびれが出てきたので、整体に行った。
いつもは神楽坂のウナギ整骨院にお世話になっているのだが、
神楽坂までの移動が手間だったので近くの整体にいった。

「ガチガチですね。ここまで硬いのは初めて見ました」
先生が妙齢の女性であったので、褒め言葉かと思ったが、
よく考えるとズボンは脱いでいないので、
純粋に整体師として身体の危機を教えてくれたのだ。

「首が全く動いていません」
本人としてはそんな気はまるで無いのだが、どうやら動いていないらしい。

鉄砲みたいなマシンで、バン!と刺激を与えつつ、
エッサホイサと30分間マッサージをしてもらう。

なんだか右手が軽くなったみたいだ。
あの気持ち悪さが少し抜けた。

元気に産んでもらえて、フルマラソン、トライアスロンといろいろやってきた。
しっかりとした身体だ。
だから、あることが当たり前と考えていた。
そうじゃない。健康は突然無くなる。事故はいつ起こるかわからない。

身体は目標を達成するためのリソースた。

そう考え、ケアをもっとしっかりしよう。

 

 

 

 

 

どうやら、高齢化社会というのは。

どうやら、高齢化社会というのは、

僕の想定しているより、はるか上の角度で恐ろしいらしい。

 

先日、

現在、スタンフォード大学で勤務されている池野文昭先生が

大学を卒業されてから、9年間、勤務された地方での体験談をお聞きした。

 

現在の日本の高齢化率は27.5%。

池野先生が当時勤めておられた地方では、

高齢化率が40%だったという。


町の青年団の会長が、58歳だというのだから、

どのくらいの高齢者が多いのかは、推して知るべしだろう。


このまま行くと、2040年から2045年には、日本の平均高齢化率が40%になるという。

老人が老人を介護し、独居老人、痴呆老人が増える社会。

町の産業はなく、みんな社会保障で生きており、税収はない町。

その町には老人ホームはなく、となりの比較的高齢化率の低い町の老人ホームへ、

おじいちゃん、おばあちゃんを輸出する町。


池野先生は想像を絶する世界と話されていた。

ただ、僕には、まだ想像つかなかった。

 

僕が28歳でまだ地元にいたころ、 地元の青年団も親父の次の世代である

40~50代が主軸を張っていたからだ。

彼らはまだまだ元気だった。


けれども、それはもう8年も前の話から、勝手に想像している元気な父親たち。


父は、まだまだ大丈夫と思っていても、

それは今の父ではなく、8年前の父。


それだけ、距離と時間が空いてしまっている。


海外旅行が当たり前の世界になったといっても、

東京から広島に行くのに、新幹線片道で、時間として4時間、2万円ぐらいかかる。


電話や、スカイプなどで、声の距離は縮まったのかもしれない。

ただ、身体の距離はまだまだ離れている。


今の地元は、現実は確実に変わっているのだろう。


僕が知っている一番身近な高齢者は、ばあちゃんだったが、

僕はそのときにはすでに地元を離れていて、その実情を知らない。


2040年は、ちょうどAIが人間の知能を超える時、シンギュラリティーが来ると言われている年。


僕は、今、確実に想定されている高齢化社会という未来に対して、何をするのか。

AIがこの問題を解決してくれることを待つのか、それとも、自分で何かの一歩を踏み出すのか。


僕はまだ勝手に間に合うと思っているのだけれども、

それは地元の今を見ていない勝手な僕の理想世界。


ただ、地方を故郷と思うものとして、故郷を捨てたと思いたくない気持ちだけは、

今、間違いのない事実。


じゃあ、僕は何をするの?

現時点で、まだ、答えはでていない。


だからといって、その答えを他人にもとめても、それは僕の答えではない。

常に自分で答えを探していないと、その答えは絶対に出てこない。

 

そう、僕たちは自分で考えて、答えをだすしかない。

今、この瞬間を生きるために、「今、自分の感じている感情に蓋をしないこと」やってみませんか?

今ここを生きるための方法として、

禅、マインドフルネス、SIY、瞑想など、沢山の方法が世の中には溢れています。

 

それらの方法は、素晴らしいのだと思うのですが、

私が、今、やっている「今を生きるため」にやっている方法は、すごく簡単です。

「今、自分の感じている感情に蓋をしないこと」

 

胸の奥にある自分が今、本当に感じていることを

素直にそのまま出してみる。

もしくは、その感情をより大きくことばにしてみる。

 

嬉しければ、よっしゃーうれしー!!!

悲しければ、ぐすぐす、、、悲しい…。

楽しければ、すげーメチャクチャたのし~!!!

悔しければ、うごォ~~くやしい!!!

 

なぜ、そんなことをやっているかというと、

私は、今まで物事について、

「ポジティブに捉えることが常に正しい」と考えて、

それを実践してきました。

 

自分自身が傷つき、本当に泣き叫びたいときも、

相手の立場にたてば、そうすることも仕方ない、自分が至らなかったのだ、

自分を高めるために、神様が与えてくれた素晴らしい試練なのだ、とずっと考えていたんです。

 

けれども、それらの思いは、私の中では昇華しきれてませんでした。

ずっとずっと、私の心の奥底に、澱みづつけ、ぶすぶすくすぶり続けました。

 

そんな思いには、蓋をしなければならない、

そして、その思いに蓋をしようとするたびに、

こんなネガティブなことを考えてしまうのは、

自分自身の心の修行がたりないから、こんな気持になってしまうのだ。

 

もっとポジティブに、さらにポジティブにと、自分自身を追いこんでいました。

そして、それができない自分を責めてもいました。

そんな状態では、今を生きることなんて出来るわけがないのです。

今の自分を否定しつづけているのですから。

 

それに対して、「今、自分の感じている感情に蓋をしないこと 」 は、今の自分の感情を肯定する行為です。

今、自分が感じている感情は、真実そのものです。

 

その真実そのものをあなたは100%信じることは出来るはずです。

 

あなたの感情はあなたにしかわからないことだし、誰かに否定されることでもありません。

 

例えば、あなたが「嬉しい!!!」って思い、その嬉しさを口に出したとき、

誰かから、「いや、それは違う。あなたは悲しいはずだ!」って言われたとしましょう。

あなたは、「いやいや、私が嬉しいって感じて、嬉しいって行ってるんだから、嬉しいんだよ」と100%の自信を持って答えることが出来るでしょう。

しかし、「感情に蓋をすること」が癖づいてしまうと、それができなくなるんです。

自分は「嬉しい」と思っているのだけど、あの人が「悲しい」と言っているのだから、私は「悲しい」のかもしれない。

感情は「イヤ」なんだけど、空気読めば、「アリ」なのかもとか。

それは、ポジティブの感情であっても、ネガティブな感情であっても同じだと思います。

そうすると、100%絶対であるはずの自分の感情に対してすら、疑いを抱くようになります。

 

この感情という物差しを放棄し続けた結果、

人は、「今この瞬間を感じること」ができなくなってきているのだと、私は考えています。

 

今、この瞬間を生きるために、「今、自分の感じている感情に蓋をしないこと」やってみませんか?