2013年もありがとうございました。私的三大イベント+自分を形作るために。

2013年12月31日、長いようで短い1年が今年も終わろうとしています。

個人として、たくさんの環境の変化に直面して、時に考えて、時に現実から逃げ出して、時にはバタ足で、進んだり、止まったり、駆け抜けていったりした一年でした。

私的2013年3大イベントは

・フルマラソンを走ったこと。
・約10年勤めた会社を辞めたこと。
・お酒を(ほぼ)やめたこと。

まだ自分の中で変わったこと、何てものは感じてはいないのですが、何年か立った後にポイントはあの一年でしたと言えるよう、活動し変化し続けてい期待と思います。

あと、今更ですが、もっと人に会わないといけない。と感じ始めております。

仕事を辞めて、一人での活動を続ける中で、自分の中だけで、自分を形作ることは難しいということを感じました。

もちろん自分の中で考え、煮詰めることは必要なのですが、僕の場合、考えている段階がまだまだ浅すぎる。。。

人に会って、今自分や相手が考えていることを話して、甘さを指摘されて、例えボロボロになったとしても、自分の考えが足りなかったことに気付くことができれば、足りない所を埋めるという段階に移れるのです。

そういう意味でも自分を形作る。ということは、絶対的なものではなくて、相対的なものなのではないかと感じています。

たとえば、あなたが、ダイヤモンドの原石を持っていたとして、削らなければ、そのダイヤモンドの価値はでてきません。
そして、ダイヤモンドを削ることができるのは他の人のダイヤモンドしかない訳です。

誰しもが持っているダイヤモンドを輝かせる為に、新しいことへの挑戦と人との出会いを大切にしていく必要があるのだと思います。

私自身、来年は、今年以上にノーポチと丁寧さと人との出会いを大切にした一年にします。

今年一年ありがとうございました。

あなたにとって、来年も良い年でありますように。

さぁ楽しんでやってみよう。

これからの未来について考えること。

これから時代は大きく変わっていくのでしょう。

僕の周りにも、アジアに飛び立っていったとか、これから飛び立つ予定だ。という人達がたくさんいます。
グローバルという言葉自体が古くなり、世界で働くということが当たり前になります。

日本の中でも、英語を第二言語として、自由に使いこなす若者も増えてくるでしょう。一昔前は大企業だけだった海外勤務も、中小企業にも、当たり前のものとして溶け込んでいくのだと思います。

そして、海外からは、日本の労働市場へ多くの外国の化方々が入ってくるのでしょう。(日本の労働市場がまだ魅力的だという前提ですが。。。)

そんな世の中になっていく中で、自分も仕事が面白く、将来は海外で働きたい!彼女へのプロポーズは一緒に海外で暮らそうだった。結婚して子供もできた。よし!まだまだこれからだ!!!バリバリ働いて家庭も仕事も両立だ!!!

ある時、急に自分の両親の体調が悪くなり、介護が始まる。両親と別居していたのでは介護することもできないので、自分は両親の家に、妻は自宅で子供を育てることを決意。

海外勤務が魅力で勤めていた会社も、介護の為に地元に帰らなければならず、退職した。

これからは、そんな生活を余儀なくされる場合も多々出てくるのだと思います。

東京に住む多くの地元から離れて暮らしている人にとって、自分にとっては地元は愛着のある場所です。しかし、自分の子供にとっては、愛着なんてまるでなく、たまに行くじいちゃん、ばあちゃん家というイメージしかない状態ですよね。

自分が介護の為に地元に帰ろう。と決めたとき、子供にとって、そこは異世界とも言うべき所になっているのでしょう。そうなると本当に別居生活も視野にいれていくしか方法はなくなるのだと思います。

今までの田舎では、長男が家を継いで、土地や家、財産など残されたものを受け継いでいくということが、当たり前のことでした。死んだらお墓をつくって、子孫にお墓を管理してもらう。という考え方が当たり前でした。

これから、今までの当たり前が通用しにくくなってくるのだと思います。
というよりも、今までの当たり前は通用しないことが、当たり前です。

自分自身、田舎から東京に出てきて、故郷の違う人と出会い結婚しました。

今まではありがたいことにどちらの両親も健康ですが、いつか必ずやってくる未来があります。
もちろん、一番始めに倒れるのは自分かもしれません。
ただ、その必ずやってくる未来に対して目をつぶっておくのは、単なる現実逃避です。

これから自分の生活の拠点をどうするのか。
もしも、東京に住み続けるのであれば、月に1回でも両親の顔を見るために帰省するためにはどうすればいいか。

未来のことを他人に委ねてもしょうがないですし、自分に与えられた課題は、神様が与えたハンデですから、これを乗り越えてクリアーしていくしかない。と信じ、挑戦していきます。

78歳になるじいちゃんの元気がなくて、一緒に酒を飲むことができず。。。

寂しい思いをする中で考えたことでした。

さぁ楽しんでやってみよう。

アンパンマンのマーチに学ぶ。丁寧に本を読むこと。

物事を丁寧に行う。を来年1年の目標にしましたが、
具体的に何をやるのかは、まだ決まっていません。

まだ、決まってないのかよ。という突っ込みは甘んじて受けたいと思います。

しかし、一つ決めていることとして、「本を丁寧に読む」ことを行います。

「本を丁寧に読む」

今まで、たくさんの本を読みたくて、フォトリーディング、キラーリーディング、レバレッジリーディング、いろんなことに挑戦してきたのですが。。。

結果、自宅で渦高く積まれている書籍は、自分の知識・知恵が積み上がってきた証拠。というよりも途中からメンドクサクなって、投げっぱなしにしてきた証拠になってしまっています。

月間300冊~500冊の本を読まれるという佐藤優さんの言葉で、
「基礎知識があるからこそ、該当分野の本を大量に読みこなすことができる。」

というものがありますが、
基本知識がまるでない状態で速読をしようとしていたのが、私の根本の間違いだったのかと感じている次第です。

ソクラテスは 、「自分自身が無知であることを知っている人間は、自分自身が無知であることを知らない人間よりも賢い」「真の知への探求は、まず自分自身が無知であることを知ることから始まる」と言っています。(参考 はてなキーワード)

私の読書は、知らないことを知るための読書ではなく、これだけ買ったんだから少しは身についているはずという甘い願望を満たすための読書、積ん読だったとの恥ずかしい思いで一杯です。

基本的に私が読もうとする本は、憧れている人から薦められた本なので、そこに積み上がっているのは、その憧れの人に近づくためへの一歩に違いないと思うのです。

来年一年は新しい本を買いたいと言う気持ちをグッと押さえて、今まで積ん読している本を丁寧に読むことに集中したいと思います。

同じ本を読んでも人によって理解する度合いが違う。

同じ本を読んだとしても、その人それぞれの成長度合いに合った内容でしか理解することはできません。

たとえば、アンパンマンのマーチには、

何が君のしあわせ
なにをしてよろこぶ
わからないままおわる
そんなのはいやだ

という歌詞がありますが、
これが、価値観を探すこと。を示しているのではないか?と考える子供は少ないと思います。

さらに、アンパンマンのマーチに関して、僕らの辞典Wikipediaには、
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やなせが、海軍の特殊特攻隊員だった自身の弟に向けて作った歌詞であるという説があるが、作者本人からはこれが正式に証言されたことはない(「弟の最後の写真がアンパンマンに似ている」との話もある)。とはいえ、この詞はやなせの「ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そしてそのためにかならず自分も深く傷つくものです」という深い思いや人生経験がこめられた傾向が見て取れる。
———————————-

との記載がありますので、この筆者はアンパンマンのマーチに対して、子供や私とさらに違った視点で捕らえられているのではないかと思うのです。

このように、アンパンマンのマーチの歌詞一つとっても、丁寧に読むことで、幼稚園児の様な私でも憧れの人に少しでも近づいて内容を理解することできるようになるのではないでしょうか。

(もちろん、Wikipediaからだけではなく、さらにいろんな文献などから、やなせ先生について調べて、深めることができればもっとたくさんのことを知ることができるのだと思います。)

丁寧に本を読むとは、本や作者、その時代背景に対して目を向けることであり、細かく、その背景、意図について知り、考えることに繋がります。

そして、その結果、今までの自分が見ている視点以外の視点で見える様になるパラダイムシフトを起こしやすくなるのではないかと期待しています。

あなたも僕と一緒に「丁寧に本を読む」ことから始めて見ませんか?

さぁ楽しんでやってみよう。

丁寧に物事を行うこと。について、その意味。

私はこれから「丁寧に物事を行う」ことを宣言させていただきました。

「丁寧に物事を行う。」とはどういうことなのか。

本日は、
「丁寧に物事を行う。」とはどういうことなのか。について、考えてみました。

おいおい、考えてなかったのかよ。というのは、無粋な一言だと察してください。

※以下、言葉の意味は、goo辞書を参考とさせていただきました。

丁寧

【意味】
1細かいところまで気を配ること。注意深く入念にすること。また、そのさま。
2 言動が礼儀正しく、配慮が行き届いていること。また、そのさま。丁重(ていちょう)

ということだそうです。

この丁寧を自分の中に取り込んでいきたいのです。

やりたいと思ったら、ノーポチ!!!
あとは投げっぱなしジャーマン!という自分に対して、もっともっと丁寧に物事を進めなさい。と教育していきたいのです。

この丁寧って言葉は流行るでしょうね。

ええ。間違いなく流行るでしょうね。

時代の最先端をいっているとか、いないとか言われているぼくが、師匠の数ある名言の中からチョイスした言葉ですから。

ちょっと想像してみてください。

あなたは営業職です。
残念ながら今月は目標としていた数字に届きませんでした。
このときに、上司から、「もっと真剣になれ!」って言われたとしたら。。 。

あなたは、「すいませんでした!!」って答えたあとに、「真剣にやってるけど。。。何が足りなかったんだろう。」と、考えると思うのです。

まず、
「真剣にやる。」という言葉の意味から考えてみたいと思います。

真剣
意味
まじめに物事に対するさま。本気で物事に取り組む様子

まじめ(真面目)
【意味】
1 うそやいいかげんなところがなく、真剣であること。本気であること。また、そのさま。
2 真心があること。誠実であること。また、そのさま。

ということで、

「真剣にやる」とは、

「まじめに物事に対して行う。」
「うそやいいけげんなところがなく、本気で物事に対して行う」

ってことになるのです。

しかし、

あなたは、子供じゃないですし、まじめに、本気で取り組んだ、真心もあって、誠実でもあったと思います。

けれども、今回は結果がでなかったのだと思うのです。

真剣に、まじめ、本気で取り組んだ人に対して、
でも、結果が振るわなかったから、
だから、もっと真剣にやれって・・・。

もっと真剣にやっても、結果がでなければ、もっともっと真剣にやれ・・・。

なんか負のスパイラルに入っていってると思いませんか?

しかし、現実は、みんな真剣にやっている。けれども、人によって差がでています。

これって、言葉の使い方を間違った結果なんだと思うのです。

真剣度合い、真面目度合いは、結局その人の中での度合いであって、他人と比べることなんてできません。

人それぞれその人なりの真剣度合い、真面目度合いがあるだけなのです。

だから、真剣にやる。といってもスパイラルに巻き込まれてしまうのではないでしょうか。

それに対して、丁寧度合いは違います。

丁寧さというのは、人と比べることができる。

チェックリストは使うべきと言われます。

それでは、チェックリストは何をチェックしているのでしょう。
チェックリストとは、行動をチェックすると共に丁寧さをチェックしているのではないでしょうか。

当たり前と言われるところであれば、
メールを送信する前に、メールを見直したか?
誰かに会う前にトイレにいって身だしなみを確認したか?
セミナー会場にゴミが落ちていないか?
などです。

こんな行動って、丁寧ですよね。

結果の出ている人と結果の出ていない人を比べるのであれば、このように丁寧度合いを比べるべきだと思うのです。

丁寧さの一事が万事

結果を残している人達は、本当に丁寧です。

僕の知っている結果を残している男は、
一緒に走ると8×4石けんの香りがします。

きっとこれは彼の丁寧さの現れなのだと思うのです。

香水ではにおいがキツいし、男で香水?と、チャラそうな印象を与える。だからといって、男臭さ満載の汗まみれであれば、それ以上、彼と一緒に走ろうとは思わないでしょう。

だから、彼は数ある制汗剤の中で、周りに嫌な印象を与えないかつ、清潔感も印象づけられる。ということで、8×4石けん。というチョイスをしたのだと思うのです。
これがシトラスではダメなのだと彼は結論づけたのでしょう。

彼は、仕事という場面を離れて、プライベートで走っているときにでも、自分の周りにいる人に対して丁寧に接しているのです。

そんな男であれば、間違いなく仕事という場面でも丁寧でしょうから、だから結果を出しているのだと思います。

ただやっているだけ、と、意味を考えてやっているの違い。

丁寧にというと、一つ一つの行動に対して時間がかかります。そして、手間がかかります。だからこそ、人はその行動に対して、意味を求めます。そして、その意味について考えることが一つの行動に対して、大きな違いを生むのだと思うのです。

行動の意味について考え、意味がわかれば、実はこの行動は必要がない。という判断をすることもできるようになります。

また、この意味で行っているのであれば、行動の中でも石の目というか必ず押さえておくべき所というのも解ってくるようになるのだと思うのです。

この行動の意味が解かり、行動を取捨選択し、行動の石の目を押さえることが、さらなる時間の節約につながり、結果に対して意味のある行動を増やしていくことになるのでしょう。

そして、それが最終的な結果の大きな違いになるのだと考られるのではないでしょうか。

ということで、

あなたも、
「丁寧に物事を行う。」
一緒にやってみませんか?

さぁ楽しんでやってみよう。

丁寧に物事を行う。

こんばんは ながはまです。

昨日のエントリーで
「自分がめんどくさがりで、少しでも楽をしたい人間であると言うことを認める。」
とお伝えしました。

そして、その中で「今やりたくない。後でやろう。」という気持ちを捨てる。を決意させて頂きました。

あれあれ?なんで、今日も夜にブログを書いているの?朝にやるんじゃなかったの?と突っ込まれると厳しいのですが、まぁそこら辺は、子供が初めて歩くのを眺める親のような目で温かく見守ってやっていただきたいと思います。

本日は、もう一つ決めたことをご報告させていただきたいと思い、キーボードを叩いております。

これから1年間、私は、
「丁寧に物事を行う」
ということに決めました。

今まで、その場の勢いだけで生きてきた自分なのですが、やっと、、、というか、いい加減、新しいやり方を覚えないといけない頃だと感じておりました。

そして、どうせやるのであれば今まで自分が手を付けてこなかったこと、もっともやりたくなかったことに挑戦してみる必要があるのではないかと感じたのです。

今までやったことがないことに挑戦する。
マラソンの時もそうでした。会社を辞めるということもそうです。やったことがないことに挑戦したから、新しい展開がスタートしていきました。

今回の「丁寧に物事を行う」ということも、全くやったことのない(というか、できなかった)ことなのです。

1年間かけて、心の中のテコの支点として取り入れていきたいます。

武士道で有名な新渡戸稲造は
「何かやろうとするとき、最初に志をたてること。すなわち発心は、どんな人でもいくたびとなく経験することである。「何をしよう」「こんな人になろう」というのはみんな発心である。しかし、この発心を達成するのが、なかなか容易ではない。最初は勢いにかられ、熱心に行うけれど永続できない」と言い、

永続するためには「継続の修養」を積むことが必要であると解いたそうです。

そして「継続の修養」として
「まずやさしいが、少々嫌なことを期限付きで始める」ことを勧めていました。

彼自身「継続の修練」として、冷水浴を20年実行していたそうです。

稲造にとっては冷水浴がやさしいことであったのか。。。ということは置いておき、この「継続の修練」として私は「丁寧に物事を行う」ことを選びます。

「丁寧に本を読む」
「丁寧に料理をつくる」
「丁寧に準備をする」
「丁寧に人に接する」
ということです。

明日から、いや今から、いろんなことを丁寧に行っていきます。

さぁやってみよう。

自分がめんどくさがりで、少しでも楽をしたい人間であるということを認める。

あなたは、めんどくさがりで、少しでも楽をしたい人ですか?

僕は、めんどくさがりで、少しでも楽をしたい人間です。

そして、僕はめんどくさがりで、少しでも楽をしたいから、今はやらずに、後でやろう。としてしまう人間です。

毎日ブログ書くと決めているんですが、深夜の更新になるんです。
毎朝書いた方がいいのは解ってるんです。が、、、めんどくさくて、少しでも楽がしたいからと、後にのばした結果。。。

今(深夜)になってから、どうしようどうしようと思いながら、書いています。

今はやりたくない。後でやろう。が問題だ。

立川談志家元は、「落語とは、人間の業の肯定である。」と言われました。どうしようもない人間が落語の中では登場します。そんなこともふまえて人間じゃないか。という世界が落語の中では描かれています。

めんどくさい。少しでも楽にしたい。というのは昔っから人間の中にあるのだと思います。

なので、めんどくさい。少しでも楽にしたい。という気持ちが自分の中にあるということは認めてやろうと思います。

でそれを踏まえて、

今はやりたくない。後でやろう。と言う気持ちを捨てる。

もしもあなたが、今はやりたくない。後でやろう。ともしも思ってしまったら、次の言葉を思い出してみてください。

「めんどくさい」ことを放っておいたら、「もっとめんどくさい」ことになる。

本田直之さんのことばです。

後回しにしないで、今やる。

さぁやってみよう。

見えないからこそ理想の未来になる。

サンタは実在するのか?

サンタさんはいる!小学校4年生まで信じてました。ファミコンだってプレゼントしてくれたし。。。なんで僕が欲しいものがわかるんだろう?って思ってました。
4年生の時に、もしかしてサンタクロースは、お父さんお母さんなのかなって思い始めたときに、物置でプレゼントらしきものを発見してしまい、やっぱりサンタは両親だったんだ。と知ったのでした。
妹は僕より2歳早くサンタさんがいないって、知っちゃったから、ちょっとだけドキドキから冷めるのが早かった。今考えるとちょっとかわいそうなことをしたのかな。。。

で、今の子供たちはネットがあるから、もしかするとすぐしらべちゃうのかな。と思い、「サンタクロース いる」で検索を書けると「サンタクロースはいるのでしょうか」という新聞の社説がでて参りました。

「サンタクロースはいるのでしょうか」

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ニューヨーク・サン新聞 1897年9月21日 社説欄

「こんにちは、しんぶんのおじさん。
わたしは八さいのおんなのこです。じつは、ともだちがサンタクロースはいないというのです。パパは、わからないことがあったら、サンしんぶん、というので、ほんとうのことをおしえてください。サンタクロースはいるのですか?
ヴァージニア・オハンロン」

ヴァージニア、それは友だちの方がまちがっているよ。きっと、何でもうたがいたがる年ごろで、見たことがないと、信じられないんだね。自分のわかることだけが、ぜんぶだと思ってるんだろう。でもね、ヴァージニア、大人でも子どもでも、何もかもわかるわけじゃない。この広いうちゅうでは、にんげんって小さな小さなものなんだ。ぼくたちには、この世界のほんの少しのことしかわからないし、ほんとのことをぜんぶわかろうとするには、まだまだなんだ。
じつはね、ヴァージニア、サンタクロースはいるんだ。愛とか思いやりとかいたわりとかがちゃんとあるように、サンタクロースもちゃんといるし、そういうものがあふれているおかげで、ひとのまいにちは、いやされたりうるおったりする。もしサンタクロースがいなかったら、ものすごくさみしい世の中になってしまう。ヴァージニアみたいな子がこの世にいなくなるくらい、ものすごくさみしいことなんだ。サンタクロースがいないってことは、子どものすなおな心も、つくりごとをたのしむ心も、ひとを好きって思う心も、みんなないってことになる。見たり聞いたりさわったりすることでしかたのしめなくなるし、世界をいつもあたたかくしてくれる子どもたちのかがやきも、きえてなくなってしまうだろう。
サンタクロースがいないだなんていうのなら、ようせいもいないっていうんだろうね。だったら、パパにたのんで、クリスマスイブの日、えんとつというえんとつぜんぶを見はらせて、サンタクロースをまちぶせしてごらん。サンタクロースが入ってくるのが見られずにおわっても、なんにもかわらない。そもそもサンタクロースはひとの目に見えないものだし、それでサンタクロースがいないってことにもならない。ほんとのほんとうっていうのは、子どもにも大人にも、だれの目にも見えないものなんだよ。ようせいが原っぱであそんでいるところ、だれか見たひとっているかな? うん、いないよね、でもそれで、ないってきまるわけじゃない。世界でだれも見たことがない、見ることができないふしぎなことって、だれにもはっきりとはつかめないんだ。
あのガラガラっておもちゃ、中をあければ、玉が音をならしてるってことがわかるよね。でも、目に見えない世界には、どんなに力があっても、どれだけたばになってかかっても、こじあけることのできないカーテンみたいなものがかかってるんだ。すなおな心とか、あれこれたくましくすること・したもの、それから、よりそう気もちや、だれかを好きになる心だけが、そのカーテンをあけることができて、そのむこうのすごくきれいですてきなものを、見たりえがいたりすることができる。うそじゃないかって? ヴァージニア、いつでもどこでも、これだけはほんとうのことなんだよ。
サンタクロースはいない? いいや、今このときも、これからもずっといる。ヴァージニア、何ぜん年、いやあと十万年たっても、サンタクロースはいつまでも、子どもたちの心を、わくわくさせてくれると思うよ。

※ そのあと、ヴァージニアはニューヨークの学校の先生になって、四七年間子どもたちを教えつづけたそうです。

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目に見えないからこそ、サンタクロースはいる。

この話を読んで、「これって、僕らの未来と同じなんじゃないか?」と思ったのです。

僕らは誰にも見ることのできない未来に向かって、今を行動していきます。

未来を見ることができなからこそ、自分の求める理想の未来を信じて、その未来になるように行動していきます。

この時点で理想の未来は存在してるのだと思うのです。

なぜなら未来は誰も見ることができないから。
誰も見ることができないから、理想の未来がない。とは誰も言うことができない。だから理想の未来はある。
(悪魔の証明ですね)

だから、僕らは理想の未来にすることができるかどうかなんて悩む必要はなくて、その未来はあると信じ続けて行動し続ければいいのだ。ということに気がついたのでした。

ということで、サンタクロースはいる。
両親はサンタクロースにプレゼント置くように頼まれたって言ってましたしね(笑)

見えないからこそ理想の未来になる。

さぁ楽しんでやってみよう。

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「悪魔の証明」
以下はてなキーワードより
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B0%AD%CB%E2%A4%CE%BE%DA%CC%C0

悪魔の証明とは、「ある事実・現象が『全くない(なかった)』」というような、それを証明することが非常に困難な命題を証明すること。例えば「アイルランドに蛇はいる」ということを証明するとしたら、アイルランドで蛇を一匹捕まえて来ればよいが、「アイルランドに蛇はいない」ということの証明アイルランド全土を探査しなくてはならないので非常に困難、事実上不可能であるというような場合、これを悪魔の証明という。

新約聖書にあるサタンがイエスを試した逸話から来ている。ある論争に際して、そもそも挙証が困難な命題の証明を相手に迫ることもひとつのディベートのテクニックではあるが、それを悪魔の証明だ、と相手が指摘することが挙証責任を転嫁する際の決めぜりふであるということには必ずしもならない。
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記念日はなくなったほうがいいんじゃないか?

ハッピーメリークリスマス

2年前のクリスマス。
あなたは何をしていましたか?
かわいいあの子と食事でしょうか?
それとも一人で明石家サンタを観ていたのでしょうか。

2年前の僕は、平成進化論というメルマガを発行されている鮒谷師匠のセミナーに参加していました。

理解できない言語を理解しようと、脳がブスブスとオーバーヒートしていった感覚を覚えています。

そのセミナーをきっかけとして、いろんなことがつながって進んでいきました。

今はセミナーの卒業生たちとよく活動をしています。
お互いの勉強会に参加したり、一緒に走ったり。お酒飲んだり。

恥ずかしながら東京に来て初めての友人ができた。と思っています。

何においても、その後に変化が起ったのであれば、何かきっかけがあったことは間違いのないことだと思います。

そのきっかけがあった日を人は記念日と呼ぶのだと思いますが、もしも毎日がきっかけだらけであれば、人はそれを記念日だと思うのでしょうか。

俵万智のサラダ記念日
『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

もしも”君”が毎日「この味がいいね」言っていたら七月八日はサラダ記念日になりません。が、夫婦仲は今よりもっと良くなってると思いませんか?

大きな変化は、小さな変化と小さな変化が毎日積み重ねによって生み出されていくのだと思います。

また毎日の小さな変化であっても、変化が起るためには、必ずきっかけがあったはずです。

結局、人生においても劇的な変化を得ようと思うのであれば、毎日毎日少しずつきっかけを与えて、軌道を少しずつ少しずつずらしていく必要があるのだと思います。

僕たちが目指すべき世界は、小さな変化を積み重ねた先にある大きな変化。

であれば必要なのは毎日少しずつのきっかけ。

ということで、ぼくは、大きな変化を経て理想の状態になるためには、毎日を記念日にして、逆に記念日のない。という状況になるのが理想ではないかと思うのです。

記念日でなくなるように毎日きっかけを与える。

さぁ楽しんでやってみよう。

ルパン vs コナンより学ぶ。

映画ルパン vs コナンを観てまいりました。

ルパンの世代?ってわけではないのですが、映画DVDは観てます。ルパンザサーです。カッコいい。

けれども、コナンは完全に世代が違いまして、作者の青山剛昌先生がYAIBAを書かれてたときの世代です。。。

相方は小学校からコナンを読んで育ったって言ってますので、このルパン vs コナンは、二つの世代を掛け合わせた映画ということができるでしょう。

年齢層もたぶん純粋なコナンターゲットよりも若干高めというか高いでしょう。子供は少なくて、20代30代ぐらいの方も結構おられました。

感想としては、
ルパン世代もコナン世代もおもしろい!!と思わせてしまう高い作品力。

終了後に次のコナン映画の宣伝もあり、相方さんも次回も観に行こうとテンション上がりまくり。

私も、作品の中に多く盛り込まれていた1作目から引き続きネタをの中身を知りたくて、見終わった後にTSUTAYAに1作目を借りに行くほど楽しませて頂きました。

コラボは魅力的な手法

今回、名探偵コナンだけの映画であれば、私自身は観に行くことはなかったでしょう。相方からプッシュがあったとしても、むむっ!て感じだったと思います。

ルパンとのコラボということで、ターゲットが広がったということなんでしょうね。
通常であれば、自分に対して興味を持ってくれない人が観に来てくれる。手に取ってくれる。という意味でコラボは魅力的な手法だと思います。

コラボよりも各自のコンテンツが大切

しかし、今回ルパン vs コナンの感想は、それぞれのコンテンツが強いからこそ、コラボは成り立つものだ。ということでした。

もしもコナンを観たことのない人がこの作品を観たとしたら、コナンを観てみたいと思うでしょうし、ルパンをみたことのない子供もルパンを観てみたいと思うほど、(お色気もありますし(笑))双方の魅力は高い物でした。

お互いに魅力があるからこそ、コラボとして成り立っているのだと思います。

もしも、一方のコンテンツの実力がなければ、そのコラボ自体が魅力のないものになりますし、もう一方の実力のある作品にも、マイナスのイメージしか残ることはないでしょう。

結局、自分のコンテンツを高めることが必要と言うことなのだと思います。

友人の「地なんて固まらんよ」(地が固まるのを待ってると何もできない)という名言もありますが、少しでも「地が固まるように」自分のコンテンツ、ステージをもっともっと高めてけるように小さな成功をコツコツと積み上げていきます。

さぁ楽しんでやってみよう。

追伸:ルパン vs コナンを観られる方がおられましたら、1作目をDVDで観てから行かれる方がより楽しめると思いますよ!!!

来年を不安の中で過ごす前にやっておくべきこと。

何のために働くのか

先日、投資セミナーに参加させて頂いたのですが、その際にガツンとやられた言葉をご紹介させて頂きます。

その講師の方は僕の1つ年上なのですが、4年ほど前、尊敬する先輩が年若くして亡くなられたり、今後の仕事についても考えられて、これからどうする?と人生について再度考え直されたそうです。
そして、考えた末、本を読んで「これは!!!」と言う方に、「直当たり(じかあたり)」直接お会いして学びにいく。ということを実行され、現在は、その自分の憧れの方をメンターとして教えを学ばれているとのことでした。

その講師の方が、
メンターから最初に教えを受けるときに聞かれたことが、
「じゃあ、君のライフプランを教えて?」
だったそうです。

「これからどういう職業について、こういう仕事をして・・・」と、話されたそうなんですが。。。

「いやいや、キャリアプランじゃなくて、ライフプランだよ。自分がどういう人生を過ごしたいかが一番最初にあって、それから何をするかが決まるんじゃないの?」

キャリアプランよりライフプラン

今、キャリアの転換期にある僕なのですが、ライフプランについて、7年前ぐらいに一度書いただけでした。

そのとき、なりたいな。こうありたいな。みたいなことを思いつくままに書き殴って、それを年表にまとめたのです。
で、「チミチミ、結局、その通りにいったのかね?」と聞かれると、残念ながら、その年表どおりにはいってはいないです。。。が、間違いなく引っ張られてるんですよね。憧れたその姿に。。。
何か選択しなきゃならない!って時に、ライフプランを書いたノートを引っ張り出したわけではないので、自分でも気がついていないのでしょうけど、間違いなくその方向に引っ張られていたのだと思います。

今考えると、それが、僕の師匠が言われる脳内のOSが書き換わることだったり、マインドセットだったり、投資家脳であったり、事業家脳であったりするのではないかと思うのです。

自分がなりたい姿、ありたい状況になるように、行動が決められていくということ。

確かに悟空は最初からスーパーサイヤ人を目指していた訳ではないでしょうし、彼にライフプランはなかったと思うのですが、誰よりも強くなりたいってのは、心の中に刻まれていたんではないか。と思うのです。サイヤ人ですから。。でなければ、亀仙人のじっちゃんの所に修行に行こうと思わないですし。

悟空でいうところの誰よりも強くなりたい。って思うのが、ライフプランなんだと思うのです。自分がこうありたい。こういう生活を送りたい。ってことなんでしょうね。でそのライフプランを達成するための手段がキャリアプランや投資プランだったり、するわけです。

講師の方が言われるには、ライフプランを立てたらそれを数値に落とし込みましょう。年間いくら欲しいのか?それを明確にしましょう。そしてその数字を達成するためにキャッシュフローのコントロールをしましょう。ということでした。

漠然とした目標だと、どうやって達成していいかがわからないですよね。数字がないと、どうすればいいかわからない。数字の目標がないと人は怠けてしまう。。。そしてそれを達成すると決意し、行動しなければならない。

なぜなら、できればサブ4.5を達成しよう。と思っている男とサブ4必達と言っている男では、実力差があったとしても、苦しいときに踏ん張れるのはサブ4必達男のほうです。 練習もサブ4必達の方が苦しい練習をしているでしょうね。できれば達成なんていってたら、最後のところで、まぁいいや。。。って、なっちゃいますから。

そういえば、この前のハーフマラソンでも同じような目標の立て方して失敗したことを思い出しました。
そのときも目標の立て方がおかしかったんです。。。「できればキロ5分で完走」って僕は言ってたんです。この「できれば」がいらなかったんだなぁ。今、反省致しました。。。。

2020年、あなたはどんな一日を過ごしていたいですか?

必要なことは、自分の人生をどんな人生にしたいか?ということ。

ですが、人生と大きなくくりになると、漠然としすぎてしまします。ですので、僕は2020年に自分どんな一日を過ごしていたいかを考えていきたいと思います。

これからは、不毛の時代です。厳しい時代です。
だから、このスキルが必要です。稼ぐ力が必要です。
と周りが言っていたとしても、
それらは手段。

まず大切なのは自分がどんな人生を過ごしたいかということ。
自分が過ごしたい人生があるからこそ、それを達成するための手段があるのだと思います。 

2020年、あなたは、どんな一日を過ごしていたいですか? そのために2014年はどんな一年であるべきですか?

自分の求める人生を書きだす。

さぁ楽しんでやってみよう。