記念日はなくなったほうがいいんじゃないか?

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ハッピーメリークリスマス

2年前のクリスマス。
あなたは何をしていましたか?
かわいいあの子と食事でしょうか?
それとも一人で明石家サンタを観ていたのでしょうか。

2年前の僕は、平成進化論というメルマガを発行されている鮒谷師匠のセミナーに参加していました。

理解できない言語を理解しようと、脳がブスブスとオーバーヒートしていった感覚を覚えています。

そのセミナーをきっかけとして、いろんなことがつながって進んでいきました。

今はセミナーの卒業生たちとよく活動をしています。
お互いの勉強会に参加したり、一緒に走ったり。お酒飲んだり。

恥ずかしながら東京に来て初めての友人ができた。と思っています。

何においても、その後に変化が起ったのであれば、何かきっかけがあったことは間違いのないことだと思います。

そのきっかけがあった日を人は記念日と呼ぶのだと思いますが、もしも毎日がきっかけだらけであれば、人はそれを記念日だと思うのでしょうか。

俵万智のサラダ記念日
『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

もしも”君”が毎日「この味がいいね」言っていたら七月八日はサラダ記念日になりません。が、夫婦仲は今よりもっと良くなってると思いませんか?

大きな変化は、小さな変化と小さな変化が毎日積み重ねによって生み出されていくのだと思います。

また毎日の小さな変化であっても、変化が起るためには、必ずきっかけがあったはずです。

結局、人生においても劇的な変化を得ようと思うのであれば、毎日毎日少しずつきっかけを与えて、軌道を少しずつ少しずつずらしていく必要があるのだと思います。

僕たちが目指すべき世界は、小さな変化を積み重ねた先にある大きな変化。

であれば必要なのは毎日少しずつのきっかけ。

ということで、ぼくは、大きな変化を経て理想の状態になるためには、毎日を記念日にして、逆に記念日のない。という状況になるのが理想ではないかと思うのです。

記念日でなくなるように毎日きっかけを与える。

さぁ楽しんでやってみよう。

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