「自分がやられて嫌なことは、相手にやってはいけません。」

たぶん、小さい子ころから言われてる。
「自分がやられて嫌なことは、相手にやってはいけません。」

だからって、

「自分がやられて嫌じゃないことは、相手にやってもいい」
ってことにはならない。

「自分がやられて嫌なことは、相手にやってはいけない」
「自分がやられても嫌じゃないことでも、相手が嫌だと思っているのであれば、やってはいけない」
「自分がやられてうれしいことでも、相手が嫌だと思っているのであれば、やってはいけない」
「自分がやられてうれしいことで、相手がうれしいと思うことはやってもいい」

ずーっと勉強中。

さぁ楽しんでやってみよう。

野辺山ウルトラマラソン感想記その2

走ることって、すごく純粋な行為だと思うのです。

今まで行けなかったところ(距離)までで行けるようになる。

できることが広がっていく。

それを純粋に感じることができる。

初めは2㎞走ることもできなかったのに、
気が付いたら、次は5㎞、次は10㎞、次は100㎞
初めは、ゼーゼーいっていたのに、
今では当たり前のように10㎞ぐらいは走ることができる。

ちょっとした成長。
少しの感動。

そんなことが積み重なって、段々と長い距離を走りたくなってくる。
今の自分に何ができるのか。
今の自分はどこまでいけるのか。

子供のころは、何もできなかったから、小さなことでも感動できた。
実は何もできないということは幸せなことなのかもしれない。

ちょっとずつの成長。
ちょっとずつの変化。
ちょっとずつの幸せ。

大人になって、いろんなことが簡単にできるようになってしまった。
そんな今だからこそ、ちょっとずつの成長を味わうことのできることって、
すごく幸せなことなんだと思うんです。

一歩進めば、一歩遠くに行ける。
今の一歩が次の世界に繋がる。

当たり前かもしれないけれど、
忘れていることを
思い出させてくれる。
シンプルに教えてくれている。

今日も一歩だけ進んでみよう。

さぁ楽しんでやってみよう。

野辺山ウルトラマラソンから学んだこと

完走記は書くつもりだけれども、先に感想記をかいておこうかと。

なんだかんだ言っても「100km」
時間では「14時間」

薄れてきてはいますけど、ほんとに本当に長かった。

途中で歩いたり、休んだり、ご飯を食べたり、
嫌にあったり、きれいな風景をみたり、
仲間と励まし合ったり、仲間と別に走ったり、
叱咤されたり、置いて行ったり、あそこまでと競争したり、

僕は何のために走ってるんだろうと思い、
家族を守るための力をつけるため、
何かがあった時に駆けつけられる自分であるため、
基礎的な体力をつけるため、
嫁さんを担いで逃げるため、


そんなことを考えながらも、
一方では別の言葉が
頭の中で何度も何度も同じことがリフレインする。


もうやめよう。
リタイアしよう。
諦めよう。
よく頑張った。


何度も何度も聞こえてくる。沸き上がってくる。

絶対に諦めない。ここでやめたら後悔する。という自分。

疲れた。別のところで頑張ればいいじゃん。という自分。

どちらが天使でどちらが悪魔なんてわからない。

ただひとつ言えることは、
「いつでも諦めることはできるけれども、
一度諦めたら、もう二度と同じチャレンジできない」ということ。

今ここの自分を受け止めて、
今までのやり方がダメだったのならば、新しい方法を試してみて。
変われる人とは、今までの自分の手法を変えることのできる人。

やめること、諦めることはいつでもできる。

ただし、タイムアウトだけはしっかり決めて。

諦めない。明らめない。

まだまだ、僕は成長できる。
まだまだ、僕は今までの自分の手法を変えることができる。

さぁ楽しんでやってみよう。