ふと目に止まった広告

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ふと目に止まった広告。

「13歳で結婚、14歳で出産。恋はまだ知らない」

それを見て、僕はその広告の提供元であるプラン・ジャパンなるものをを検索した。

どうやら、世界の女の子の中で、小さいうちに結婚させられ、子供ができ、
学ぶという環境を提供されない子ども達がいる。
それは大きな機会損失だから、寄付金を募り、その環境を変えたい。という趣旨の団体であるようだ。

僕が「プラン・ジャパン検索する」という行動を起こしたことは、
この広告が、僕に何かを伝えることができたということなのだと思う。

たとえ、この広告の最終目的である「寄付」につながらなかったとしても、
プラン・ジャパンという団体が存在すること、世界にはそういう少女達がいるということを、

僕が知るというだけでも、広告した価値があったのだと思う。

ただ、僕が気になったのは、別のところで、
「なぜ、自分自身はこの広告をみて、行動したのだろう。何が僕に行動を促したのか?」
ということだった。

この短いフレーズ「13歳で結婚、14歳で出産。恋はまだ知らない」の中で何が僕に刺さったのか?

僕には、「恋はまだ知らない」の部分が刺さったのだ、
恋を知らないことが幸せではことかのように書かれていることが、気になった。
別に恋を知らなくても、愛にあふれた幸せな結婚生活をおくれているのであればいいんじゃないかと、僕は考えていたのだ。

第2次世界大戦前の日本(それも田舎)であれば、13歳で嫁いでいった女の子も
いたのだ。その人たちは、恋を知らなかったから、幸せでなかったというのだろうか。
彼女たちは、「結婚して、子供ができて、生活はしんどかったけれども、幸せだった」
というのではないだろうか、と考えていた。

この違和感の原因は、僕の中で、「恋」=>「幸せ」と、つながらないからなのだと思う。

「恋」は幸せに必ずしも必要なものではないと考えているのだ。

「13歳で結婚。14歳で出産。愛はまだ知らない。」

この表現であれば、本当に可哀想な女の子がいるんだ、と感じる。

恋愛という言葉があるけれど、この「恋」と「愛」には大きな違いがあるな。
と、広告をみて、検索をしたあとで考えた。

答えはまだことばにできていないけれども。

さぁ楽しんでやってみよう。