僕たちは、価値の転換期に生きているのかもしれない。

Share on Facebook
Pocket

お金を循環させる循環型社会。

信用を基礎媒体とし、自分が使い必要のなくなったものを次の世代に渡すという社会

その中で必要なものは、輸送費で、整備費だけ、

物質そのものに対して価値がなくなる世界。

しかし、そんな世界が来るのだろうか。

富を得たことのある人は、その富を手放そうとはしない。

超優秀外資系企業に務める男前の友人

循環型経済なんて実現できない。

お金の価値を0にすることなんてできない。

なぜなら、僕は美味しいもの食べたいから。

知っちゃったから、それをまた食べたいと思う。

僕は資本主義社会を否定することはできない。

という。

 

自分自身も考えると、コンビニのない生活は、想像できない…。こともないか。

インターネットのない生活、Amazonがない生活は想像できないなぁ。

それだけお世話になっているし、利用している。

 

今、得てしまっているものを、全部捨てて、昔の農民のような暮らしをすることができるだろうか。

 

僕自身は、ある一定額以上のお金があれば、それ以上は必要ないと感じているんだけれども、

それは、理想とする金額以上を稼いでいないからだけなのかもしれない。

 

自分だけであれば、問題ないのだけども、まだ見ぬ自分の子供に影響をあたえるとなると、

う~ん、と考えてしまう。

 

何かと何かを比べることによって、

僕たちは経済を発達させてきた。

その比べる基準として使ってきたのはお金。

 

そのお金という基準を手放すこと。

 

もしかするとお金という基準が変わるだけで、

別の基準に変わるだけなのかもしれない。

信用とか。歴史とか。

ただ、僕たちは価値を比べることはなくならない気がする。


人は比べることはやめない。

なぜなら、人は増えることに喜びを感じ、減ることに痛みを感じるからだ。

その感情は、教育では変わらない。

 

ただ、その比べるための基準が変わる、価値を測定する方法が変わる。

 

そんな時代の転換期に僕たちは生きているのかもしれない。