スピリチュアルは面白いけど、抽象度が高すぎる。

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どうも熊です。

少し前、スピリチュアルにハマりました。

今は、それよりももう少し抽象度を下げたことの勉強をしています。

なぜ、学びの対象を変えようと思ったのか。

宗教とかスピリチュアルの世界に行くと、
すべては空であり、愛であり、大丈夫だということを伝えてくれます。

最終的には、振れ幅が大きい方がより人生を楽しんでいるよね、とか、
苦しいときがあったからこそ、今、頑張れるとか、より未来での幸せを感じることができるとか、
本当にそうなのだと思うのです。

ただ、その思想は、抽象度が高すぎて、神の目線なのです。
その中に入ったときに、本当に多幸感を感じました。
あぁぼくは繋がってたんだ、と、ぼくらしく、今まで通りでいいんだ、と。
大丈夫なんだ!と感じた後に、いまここを生きるべきなんだと思い、いまここを大切にして、
過ごせばいいんだ、それで幸せなんだ、と感じることできました。

しかし、日常の仕事にもどれは、現実の世界にいながら、過去と未来へ幽体離脱をしている状態。

未来や過去へ思考が飛び、このままでは、このままでは、と苦しむ。

悟ったという経験があったとしても、
いくら一瞬でも悟りっぼいものを、心で感じることができたからといって、結局、この繰り返しなのではないかと思ったのです。

理想を掲げて進むことは大切なのかもしれません。
ただ、毎日托鉢でご飯をいただくのは、いくら托鉢をする(ご飯や食べ物を与える側)側の修行だとはいえ、忍びないのです。
地に足がついていない気がするのです。

であれば、もう少し、地に足がついて、今後、僕の生きている距離感で一番費用対効果の高そうなものを学んだ方が良いのだと思ったのです。

僕が苦しんでいたことは、「いまここ」はわかった、で何すりゃいいんだよ、
という自分で答えを考えない能無しパープリンの思考に陥ってしまっていたのです。
今やっている経理の仕事に関連する簿記の勉強をしたとしても、それって、なくなっちゃうよね、とかを考えてしまうのです。

それはそれとして、仮説で持っておき、それでも簿記を勉強して、もっと仕事ができるようになるんだ。

けれど、そうじゃなかったんだ。

「ぼくはもっと仕事ができるよう、自分の頭で考えるようになりたいんだ」ということがわかりました。

勉強や仕事を遊びに対しても、一番波及効果の高いものを学んだほうがいいと感じたのです。

今の仕事の整理、トライアスロン「バラモンキング」、野辺山ウルトラマラソン、そして、「鬼速PDCA」

今更ですが、勝つため、強くなるための体質を身につけます。

さぁ楽しくなってきた。

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今日のラン 9.60km(足柄峠)(月間目標 129.66km/200km 228日まで)


あと、8日で、70km。残りは一日10km走れば達成できます。
ただ、こういうときほど、予定が入って走れなくなるので、もう少し前倒して、早めに達成しよう。


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