ここでブータレとったらあかん。

僕らは競争の世界に生きている。

強いものが勝ち、弱いものが負ける。
強い弱いは力の強さだけではない。
どうやって、対象の人の記憶に残るかの勝負をしている。

どうやら、まわりが思っている当たり前の配慮が、僕にはできないらしい。
別にあきらめているわけではないのだが、人として致命的と言われれば、そうなのかも知れない。
別に自分だけが、しんどい思いをしているとも思わない。
生きていれば、人それぞれの苦しみの中を生きている。

みんなまわりにしんどい姿を見せないようにし、必死で歯を食いしばっている。

一人で立とうとしている。
それが自立だ。

まだ足りないのはわかってる。
まだまだ、努力が足りていない。

一人で立てていない。
認識はしとる。
けれど、ここでブータレとったら、あかん。
もうえぇ、好きなだけ笑ろとけ。馬鹿にしとけ。

あがいて、あがいて、あがいたらぁ。

出すことが大前提

どうも、チーム熊のCMO(Chief Magotuki Officer)の熊です。

本日は、トライアスロンチーム、「ポセイ丼」の新年会・決起会PART2に合流してきました。

このチームには、優秀で結果を出されているビジネスマンが所属されているので、ここぞとばかりに、最近のというか、昔からの課自分自身の課題について質問してきました。

「ぼくは、沢山、本は読んできたんですけど、色々手を出しすぎて、とっちらかって、結局これって何か意味があった?って、感じることが課題なんです。皆さんどうやって、本の定着率を高めてますか?」

ということを、メンバーに聞いてみました。

元帥:「書いてあることをやりゃいいんだよ」

さすが、黒くてマッチョな元帥。自分でもビジネス書と何冊も出され、年間300冊以上の本を読む元帥。考え方伝え方もマッチョです。ぼくを甘やかさず、ビシビシ教えて下さいます。

裏に流れる文脈は、下記。
「定着率とかごちゃごちゃ考えて時点であかんねん、いいからやれ。そしたら、経験にともない、必要なことは覚えるから。そして、それが本当の定着」
愛しか感じられない返答でした。

えぇ。。。さん(敏腕IT系中小企業診断士):「最近は流し読みが多いかな。最近は余り意識していないかも」
仕事も発言もロジカルでクールなえぇ。。。さん、流し読みとか言いながら、きっとその流し読みは、ぼくの流し読みとは違い、ロジカルに脳内で整理しながら、流し込んでいるのでしょう。

教官(早起き複職コーチ):「流し読みが多いですね。必要なところは折っておいて、捨てる前にもう一度読むぐらいでしょうか。昔は、ノートにまとめていましたけど、時間かかりますしね。今はやってないです」
初めてお合いしたとき(今でも)は、朴訥という印象であった教官、習慣化として取り組んでこられたことを少しずつ取り組み、夢を実現されている教官。きっと、専門としてる習慣化、コーチングに紐付けて流し読んでいるのでしょう。

ザック(大手資格取得学校講師):「流し読みですね。線とか引きながらですけど、流して読みますね。必要なところだけをノートに書き留めたりもしますかね」

(ちょっと考えたあとで)

「そういえば、本で読んだことはすぐに授業で使いますね。本を読みながらも、何が受験に使えるか常に考えているかも。その問題意識があれば、どんな本でも学びがあるし、何回読んでも、その時々でいろんなことが学べますよ」

このザックの答えを聞いて、「ああ、そっか」と腹に落ちた気がしました。
この4人は、全員がブログを書いていて、そして、別途仕事では、誰かに自分のスキル、仕入れたものを、誰かに伝えるということをなりわいにしている方々です。
だから、常に出すことを前提にすべてのインプットが規定される。
元帥も、ブログの中で、出すことのないインプットなど意味がないと書かれていました。

比べて、ぼくはといえば、自分の問題を解決するために、本を読み、そこで止まっていました。どこかに出すというアウトプットの場が全くありませんでした。(といううよりも、めんどくさいとブログを書いてないことが原因です)

そして、何を誰に対して出したいのかという自分なりの考えすら持っていない状況でした。これでは、本の著者と対話するのではなく、著者の思考をトレースしてるだけで、自分の考えを深めることなく、本に書いてあることが正しいという教科書人間になるための手順を踏んていたのでした。

有名な一説ですが、ドイツの哲学者ショウペンハウエルは、「読書について」の中で、こう書いて言います。
————————————-
読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるに過ぎない。

(中略)

ほとんどまる一日を多読に費やす勤勉な人間は、次第に自分でものを考える力を失っていく。(中略)しかしこれこそ、大多数の学者の実情である。彼らは多読の結果、愚者となった人間である。
(中略)
絶えず読むだけで、読んだことをあとで考えてみなければ、精神の中に根を下ろすことなく、多くは失われてしまう。
————————————-

出す場はここにある。

ぼくと同じように「他人との比較」「自分との理想とのギャップ」に、悩み、苦しんでいる人に、届ける。

自分のフィルターを通して、アウトプットしよう。
いいから、出せ!!!

2度とない人生だから、さぁ楽しんでやってみよう。

皇居ランで気づいたこと

本日は、サムライ塾で一緒にステコミをやった、タクとヒカルと皇居ラン。

二人共、同じくステコミをやった、ヤスにそそのかされて、野辺山ウルトラマラソンをノーポチしてしまったいい意味での馬鹿な人達です。

タクは、トライアスロンのオリンピックディスタンスも完走しているし、基礎体力は十分あると思います。
ヒカルは、まだフルマラソンを完走したことがないと言っていたので、これからどれだけ伸びてくるのかが楽しみです。

って、上から目線で書いてみましたが、一番完走の可能性が低いのが、ぼくなんですよね。
一昨年、去年と79km→42kmと順調に到達距離を短くしてきております。
純粋に怠惰による練習不足と太りすぎが原因です。

今年は、昨年11月に足が動かないというトラブルからどれだけ復帰できるかというのチャレンジと、広島に帰ることを考えて、野辺山はラストという2つのチャレンジを達成します。

野辺山100kmを完走するために、どれだけ準備をするか、何をするのか、選択する必要があります。
現時点では、スピード連よりも、身体を作ること。
月間200kmを目標に少しずつ走るしかありません。

少しずつ頑張ります。

という個人的な目的も有り、野辺山100k初挑戦の二人を無理やり皇居ランに誘い、自分が逃げ出せないようにしました。

タクは、ともかく、ヒカル10km走ったことがないと言っていたので、楽勝で勝てると思っていたのですが…。

俺、まだ、ボンコツ…。

10km走った時点で二人についていけなくなり、二人の背中は遥か彼方…。
そういうときこそ、素晴らしきかな思考。すぐに答えを出します。

大丈夫。結局ゴールするところは一緒。早くても、遅くても、それぞれに良さがある。

頑張らない理由を瞬時ではじき出します。

そして、気持ちよくウォーキング。

ウォーキングをすれば、するほど、脳内の思考は自分を苦しめる。

「これって、人生と同じじゃない。
お前は、自分のペースっていいって、それでいいと思ってるけど、タクとヒカルは、お前の2倍以
上のペースで頑張って走ってるよ。一生追いつけないねw。
しんどいって只の甘えじゃない???
おっしゃる通りだ。頑張らなければ、置いていかれる。
でも、辛い。しんどい。今はまだ追いつけないだけだ。
現時点を今日でぼくは知ったんだ。まだまだ弱いと。
これから、練習すれば、100kmも完走できる。

そんなことを考えながら、ウォーキングしていたら、タクが心配して、逆走してきてくれた。

「ヒロ、行くよ!!」
「あそこまで、ダッシュ!!」

ぼくはその声に励まされて、数百メートルをダッシュした。
ゼーハーゼーハー言いながら、必死で走った。
タクにはついていけなかったけど、それでも、気持ちよかった。

僕は、一人では絶対に頑張れない。
無理だ。完璧に甘える。

今までずっとそうだったし、今日のランニングで確定した。追いつけなくても、自分らしく、、、もういいやってなる。

けれど、今日はタクがいたから、ダッシュが出来た。

一緒に頑張りたい仲間がいるから、頑張れる。まだ行けるって言われるから頑張れる。

広島に帰ったら、コーチをつけよう。自分一人では頑張れない。
ぼくは強くない。

これからのやること。
ランは純粋に200kmをちゃんと走る。
バラモンに向けては、スイムは週1回、バイクも週末にトライミングで練習する。
さぁ楽しんでやってみよう。

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昨日のラン 10km(松陰神社→駒沢公園)(月間目標 62.1km/200km 2月28日まで)

今日のラン 20.00km(皇居ラン4周※歩いたけどね)(月間目標 82.1km/200km 2月28日まで)

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新興宗教のお誘いをうけたよ

先日、出会った方に新興宗教・仏法?のお誘いを受けました。

自分で独立されており、仕事もバリバリやられていて、論理的で愛情もあり、頭もすごくよい方。

そんなぼくからすると、あこがれの人で、

なんでこんな人が宗教にハマってるの???って感じの方です。

 

「なぜそれに入ったんですか?」とお聞きすると

「信頼する友人の紹介」と

「死後の世界が怖かった」と言う事でした。

 

その仏法の行を行えば、死後の世界で六道輪廻からの脱却が約束されるという内容。

詳しく修行の内容は話せない。とりあえず、やればわかるというお話

 

僕自身が求めている仏教とは、自分も癒やすし、それを学べば他の人も救えるということ。
というよりも、宗教とはそうでなければならないと思っています。
その行を受けた人だけが幸せになるなんて、おかしすぎる。

 

どのような内容が行われるのか、一度、上の人に会ってみようかとも思ったのですが、
試すなんて考えておきながら、会ってしまうと確実に言い込められると思ったので辞退しました。

 

そんなこんなで、新興宗教にははまらずにはすんだのですが、
ここで面白いなと思うことは、
仕事もバリバリやっていて自分で独立起業しているような人でさえ、
新興宗教というものに入るってしまうのか、ということ。
現世での仕事に対しても不安なく、活動している人がなぜ…。

「恐怖を使って人を操ること」
マーケティング手法的には、有名な方法なのだと思うのですが、
現実ではなく、死後の世界を使ってでも恐怖を煽って、購入に結びつけるとは、
その方にとっては、36万円は安心料金なのかもしれません。

 

30万払って、3日間道場に行ったとしても、それだけでは変われない。
自分自身が毎日毎日積み上げることが大切です。

 

自分自身も含め、人は常に「いまここ」ではなく、
将来について頭を悩ませて、妄想しているのではないかと考えます。
将来の仕事、将来の世界、将来の姿、まわりの人達のとの比較。
結局、「いまここにいる」と言うことが全てに対してニュートラルでいるのだと思います。

もちろん、未来に備えて準備することは大切ですが、準備ができていないと、焦ってパニックを起こしても、
いまできることしかできない。

 

現実は、現実として捉えるけれども、
伝えられてきている情報をどう捉えるか、
相手がどのような意思をもって、聞く、読む人をコントロールしようとしているのかを学ぶ。
自分の視点自体がフィルターであるということを忘れない。

自分のフィルターだけではなく、信頼できる友人に聞き、沢山のフィルターをかますこと。
そして、最後は自分が「何のために生きているのか」で決めること。

 

さぁ楽しんでやってみよう。

自分が有りたい姿に向かって、少しずつ進んでいく。

自分の好きなことを書いていても、

それが人に届かなければ、伝わらなければ意味がない。

自分が何を考えて、何を求めているか。

自分の頭の中で考えていても、何も変わらない。

書きたいことがあるのであれば、それを書く。

今、自分がいる「いまここ」場所で最大限のことをする。

今、自分が求められている場所で全てを発揮する。

すこしでも行動を起こすことで、気をつけることで、少し自分の世界の見方が変わる。

世界が変わるのではない。世界を見る目が変わる。

自分に対する評価は、自分で決めるのだ。

 

少しでも、いまここで時間、空間を共有している人と、

苦しい時のあるけれども、未来を見つつ、善い方向に進んでいけばいい。

その場にある空間を全力で満喫する。

過去にも未来にも、とらわれない。

 

目標がなければ、どこに向かうのかがわからなくなる。

今、自分がいる場所を正しく認識する。

この状況から、少しでも自分がより良いと思う方向に舵をきる。

 

自分が有りたい姿に向かって、まごついてるとか言われても、

少しずつ進んでいく。

 

さぁ、楽しんでやってみよう。

自分は自分でしかない。

諦めよう。

自分以外の何者かになろうとするのは。

今更ながらだけど、僕は僕、あなたはあなたでしかない。

ぼくはぼくで、あなたはあなたで、同じの人ではない。

特別な人でもない。

特別な人だと思うから、しんどいのだ。

普通の人だ。凡人だ。

だから、自分の目標に対して、自分がしんどいなぁと思うことは、頑張らないとできないし、

習慣にしないと身体は動いてくれない。

今まで通りの妄想総選挙をしていても、何も変わらない。
テレビを見ていても、漫画を読んでいても、寝ていても変わらない。
変わらないことは、凄いことなのだ。

自分自身を守ってくれているんだ。
自分で有り続けようとしてくれているんだ。

それなのに、別の人になりたいなんて、今の自分が可哀想だとは思わないかい。

自分は自分。

他の人と比べる必要なんてない。
比べるなら、昨日の自分と比べて、少しだけでも成長しよう。

二度とない人生だから、さぁ楽しんでやってみよう。

UQモバイルに変更しようとしていた件

家の携帯電話の電波が異常に悪い。

家の中にいるのに、電波が1本。

格安SIMのIIJを使っているのだが、

回線はdocomo。

auを使っていたときは、バリバリ4だったので、どうやら我が物件ではdocomoは電波が弱いらしい。

docomoに直接契約しているのであれば、家の中で電波が弱いときに、電波拡張機なるものを貸し出してくれるらしいのだが、あいのり回線の格安SIMなので、その方法は使えない。

そこで、格安SIMはそのままに、au回線を変更しようと思った。

IIJ内では、ナンバーポータビリティーを使って、docomo→auへは変更出来ないらしい。

それでは他の格安SIMに移行しようと、検討した結果、UQモバイルであれば、auの回線が使えて安いとのこと。
UQモバイルに変更するというタスクが作製された。

 

昨日、別件でビックカメラに行く。
ビックカメラでもUQモバイルに変更することができることを知る。
よし、やろう。

すべての書類にサインし、契約直前に、一応確認しておこうと出てきたことばが、

私「docomo回線を使いたいのですが、docomo回線はつかえますか?」

UQモバイル担当「UQはauだけですよ!」

私「え!!!、docomoに変えようと思っていたのに、、、わかりました。他社を検討します」

 

一晩たち、携帯見て、電波のところにdocomoアンテナ1本が立ってることをみて、思い出した。

俺「docomoからauに変えたかったんじゃん…」

 

記憶に頼らない。
やりたいことは、内容メモっておく。その事について話すときには、メモを確認してから、話すこと。

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記憶に頼らない。

メモをちゃんととって、メモを見てから、話すこと。

踏まえて乗り越えた先には何があるのか?

自分の機嫌を取るのは自分。
自分の力を信じるのも自分。
自信を持つのも自分。
上手くいかなかったからといって、今までやってきたことも間違いではない。
もう一方だけが、正しいと考えるな。

今までの方法を踏まえて乗り越えることが大切なのだ。
時代は弁証法的に進行している。

初めは個人がそれぞれの場所で、地域の人達とのつながりをもって、それぞれの商売をしていた。

大型店が出現し、価格を押さえた均一の商品を販売するようなった。

小型商店は、楽天などのネット上に仮想店舗を持つようになり、全国を相手にして
自分の世界観を理解してくれる人を対象としてつながりを持ち商売を始めた。

 

では、これから、僕がやろうとしている農業ではどうなのだろうか?

 

まだ、答えはだせていない。
でも出す。

 

二度とない人生だから、さぁ楽しんでやってみよう。

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今日のラン 24.20km(足柄峠@山北)(月間目標 52.1km/200km 2月28日まで)

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時間は概念

本日は、5時に起床。

明日の峠ランの練習のため、白川治療院に行きたい。
朝、6時半に先生の携帯にメッセを送る。
もちろん失礼なのだとは思うのだが、前回行ったときに、携帯のへのメッセでもいいですよ、との言葉を頂いていたので、
とりあえず送ってみる。

午前中なら空いているとの連絡をいただく。

危なかった。10時の開店に合わせて電話をしていたら、
確実に間に合わなかった。

神様ありがとう。

11時に予約したので、10時に家を出ることにする。
googleマップでは、10時41分に着くとの結果がでた。

ちょっと早いかな…。
と思ったけれども、少し待てばいいやと、10時に家を出る。

電車の中で、ハンターハンター35巻を熟読。

新富町を乗り過ごす。
乗り過ごした直後に気が付き、次の駅ですぐに引き返す。
10時50分の電車に乗る。
駅に到着。
どの出口が一番いいのかわからなかったので、とりあえず、目の前の出口ででる。
地上に出た後で、Googleマップで確認。
治療院を目指して歩く。

本当に11時ジャストに到着。


このときに頭に浮かんでいた本の内容がある。

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例えば、午前9時までに目的の場所に着かなければならないとします。
しかし準備をして家を出るまで、あまり時間がないと考えている時、時間ばかりを気にして、時計チラチラで身支度をするよりも、「9時には着こう」と一度だけ決めて、あとはひたすら身体が行なっている目の前の準備をひとつずつ丁寧に行なっていくのです。

途中の電車の乗り換えがやけにスムーズだったり、バス停についたとたんにバスが滑り込んできたりして、まるで宇宙の応援を受けているような流れが出来て、結果9時に着きます。

中略

 

時間はありません。  理論めいたことではなく、そう出来ているようです。体験を繰り返すと理由なくそうであることが腑におちてきます。

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『私』というドラマの向こう側 ――

「新」スピリチュアル読本: “現実”という概念と“外側の世界” それを統合する非二元という全体性。 織りなされる「生」という名の創作ドラマ。

安元 敦子

より引用。

 

多分これと同じ現象だな。
全然、身体に集中してなかったけど、クラピカに首ったけだったけど。
多分そうだ。
そうだ。
きっとそうだ。


二度とない人生だから、さぁ楽しんでやってみよう。

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今日のラン 0km(月間目標 28.9km/200km 2月28日まで)

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自分がパンパン病であることを認識する。

僕には癖がある。
仕事を両手じゃ抱えきれないほど、うけてしまうことだ。

バックオフィスを一人でできるようになる!!
って思っていたけど、
純粋に「一人でできる量ではない」
ということに気がついた。

そして、人にお願いすることが大切と考え始めたのだけれども、
その中でも自分のメンタルブロックがあって、
・アウトソーシングする→経費がかかる→利益減る→評価下がる→自分でやろう

という思考が働いていた。
いいや、もっと単純。

・アウトソーシングする→自分の死事無くなる→給料下がる→嫌だ→自分でやろう。
だ。

もしくは、

・バックオフィスはお金を生み出していない→経費をかけないことが素晴らしい→自分でやろう


水が満杯に入ったコップに、新しい水は入らないように、
パンパンのところに、次の志事は入りません。
新しいものを入れようとするならば、今まで持っている物を誰かにお願いしなければならない。


時間密度を上げることで対応できるかと思っていたけれども、どうやらそうではない。
自分自身の思考の癖のようだ。
スケジュールパンパンじゃないといけないというパンパン病。

僕の事を知る人に、相談しよう。
「仕事量はお前しかわからんのだから、お前が考えろ」
と言われたとしても、

「自分の計算では、パンパンになりますが、対応できると思っています。
けれど、今までの僕の仕事ぶり、思考の癖をを見ていて、客観的にどう思われますか?」
そう聞けることこそ、自分が見えているということなのではないだろうか。