正しく言葉を唱えることの力

どうも 熊です。

最近、ブログの最後の言葉を変えました。

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「さぁ楽しんでやってみよう」

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「さぁ楽しくなってきた」

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しらんがな。。。って、声が聞こえてきそうですが、

ただ、ほくの中では、大きな変化を感じたので、記しておきます。

 

ぼくはずっとブログの最後に「さぁ楽しんでやってみよう」と書いてきました。

これは、何事もポジティブに前向きに捉えていくというぼくの心持ちを記していたのです。

もう一度、何気なく使っていたこの言葉について考えたのですが、

「楽しんでやってみよう」って、ことばには、

楽しくないことを楽しんでやってみよう」という、

意味も内包されているじゃないかと思ったのです。

潜在意識的に言うと、この言葉を使うことで、楽しくないことを寄せてきてるんじゃないかと、

使えば使うほど、楽しくないことがやってきて、それを楽しもうとするたびに、心擦り切れて、自分が凹んでいくんじゃないかと。

そこで、自分にとって好ましくないことが来たときに、いつもの「楽しんでやってみよう」ではなく、「さぁ楽しくなってきた」

と使う言葉を変えてみることにしました。

すると、なんということでしょう。

状況は全く変わっていないのに、なんだか楽しくなってくるのです。

「これでできたら凄いやん」とか、「若い時の苦労は買ってでもしろ」だとか、その状況をポジティブに解釈する言葉を、

連想していき、ポジティブな気持ちが湧いてくるのです。

ブログを書いた後に「さぁ楽しくなってきた」と書くことで、さらに気持ちが前向きになります。

ドラゴンポールの悟空が強い敵が出てくるたびに、「おら、ワクワクすっぞ」と言っているのも、同じことなのだと思います。

悟空の場合、本当にワクワクしていたのかもしれませんが、、、。

気持ちが先か言葉が先か行動が先か、鶏が先か、卵が先か。

何が起こったときに、瞬間的に心の中で発する言葉があり、その言葉を受けて、行動が起こり、行動からその行動に合致した気持ちになる。

正しく言葉を唱えることって、本当に力を持っています。

正しい言葉を発し、正しい行動を求め、何度も実践し、PDCAを回すことができれば、人生はより良い方向に向かう

さぁ楽しくなってきた。

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今日のラン 10.03km(足柄峠)(月間目標 120.06km/200km 228日まで)
10km
1時間3分で走れるようになりました。
走り始めた1ヶ月前は、10km1時間半かかっていたのに、
身体って本当に戻ってきてくれるんですね。
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目標を実現するためには、目標を立てなければならない。

どうも、熊です。

本日、関東近辺での峠ランの聖地、「足柄峠」に行って参りました。

5月20日に控える、野辺山ウルトラマラソン。
今年が最後の参加になります。
絶対に13時間30分で完走します。

身体も、11月に左足が動かなくなった状態から、少しずつ復活してきています。

野辺山のエントリーが開始された時には、左足が今までの様に、自由には動かない状態でしたので、走らないという選択肢もありました。

けれど、病は気からといいます。
「走れない」と思っていたら、ずっと走れないし、ぼくはこのまま「走らない」という人生になってしまう、
せっかく今まで走ってきたのだから、それだけは避けたい。

そういう思いで、ぼくは参加することと決めました。

これで完走できたらと思うと、本当にワクワクしてきます。

足柄峠に来たのは、今年に入って2回目。

一緒に行くのは、チーム野辺山のチームメイト:タッチ南さん。
彼も2年連続で野辺山に挑戦し、両方共、途中で夢破れております。
今年が3度目の正直。
絶対に完走したいという気持ちが一緒になり、じゃあ、隔週で足柄峠に行きましょう!と、
年始に二人で盛り上がり、一緒に走ることになりました。

今年2回目の足柄峠は、前回よりもタイムが上がり、24.13kmを2時間51分33秒。
前回は、同じ24kmを3時間でしたので、確実に力は戻ってきています。

今回は、11時48分の電車に乗るために、11時30分には戻ってくると決めて、走りました。
その結果は、ジャスト11時30分に往復完了。
無事に、11時48分の電車に乗ることができました。(これを逃すと、次が12時54分になるのです)


目標がなければ、目標に到達することはできない。
当たり前ですが、目標を決めることと、目標を細かくすることの大切さと感じました。
今回は、野辺山完走という大目標にむけて、足柄峠を11時30分までに帰ってくるという小目標を立てたわけです。
この小目標を少しずつ達成していくことが、大目標に繋がる。
「やるべきことを倦まず弛まずやり続ける」。

(鮒谷さんの目標設定についての音源を聞きながら、、)

さぁ楽しくなってきた。

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今日のラン 24.13km(足柄峠)(月間目標 110.03km/200km 228日まで)

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勘定マスタの罠から気づいた思考のOSの怖さ

どうも熊です。

ぼくの仕事は、経理です。
会計ソフトを使っているのですが、大量の仕訳を入力するときには、
その他のシステムから、目的とする仕訳になるような形式で吐き出されたファイルを取り込みます。

今日は、その取り込み作業を行ったのです。

取り込んだ売上の合計と、吐き出したシステムの合計が
一致したので「よし、OK」となったのです。

その後で、仕訳の一部を修正するために、手作業で取り込んだ仕訳を修正をしたのです。
修正後、再度、それそれの項目でも、基幹システムと会計システムの金額を確認する。

ずれとるがな…。

この瞬間、意味がわからなくなりました。
え、合計一緒だったよね。
ぼくがやったことって、補助科目(5-3→5-2)を変えただけだよね。
金額、さわってないよね…、

なんでなんで。
それから格闘が始まりました。

もともと吐き出した仕訳が間違ってた???いやいや、最初合計一致してたはす。
とりあえず、もう一回合計を出してみよう。

合計を出してみると、合計もずれとるがな。

ということは、僕が修正したことに何か原因があるはず。
と修正した仕訳を再度確認します。

修正前のデータは税込なのに、修正したデータは税抜になっとる。

ぼく、ここ触りましたっけ…。
いやいや、触ってないでしょ。
でも変わってるっとことは、何か原因があるはず。

数分後、ぼくにAHA体験が降りてきました。
「修正したときに、自動で税抜に変わったんだ。そして、原因は勘定マスタにある」と。
※勘定マスタとは、ある項目を入力した時に、その項目がの消費税区分などを設定しているマスタのこと。海外の取引であれば、消費税分を計算しないようにマスタに事前に設定しておく。

勘定マスタを確認すると、思ったとおり、デフォルトで消費税抜きになるように設定されていました。

勘定マスタを修正し、同じことが二度と起こらないようになりました。

この作業をしているときに思ったのです。

このマスタの間違いって、自分の実生活にもあるんじゃないかと。
自分が気にしていないかったこと、何かをしようとしたときに、付随しておこること、自分が全く意識していないこと。

鮒谷さんのところでは、思考OSのバグって言われていること。
自分が知らないうちに、気が付かないうちに、自動で行動してしまっていること。

今、ぼくのいる状況は、全て自分自身に原因がある。

自分にとっての当たり前で行動してきたことが、おおきなズレになって、結果として現れてきている。
そして、その思考マスタって、勘定マスタみたいに簡単に変わらない。
毎日毎日、自分を躾けて躾けて、縛って縛っってしないと変わらない。
習慣、体質にしないと、ずっと僕について回ることなんだ。

ぼくはこういう人間だからしょうが無いって言うのは、簡単だ。
というよりも、色々やってきたつもりだったけど、自分がずっと変わっていないことに愕然とした。

わかったつもりが一番怖い。
体質になるまで、毎日毎日意識して刷り込まないと。

思考のOSのバグは、自分の気がつかないうちに結果を変えるのです。
毎日、自分の目標読んで、なる自分の姿をインストールしよう。

さぁ楽しくなってきた。

フリーライダーはいらない

どうも、熊です。

今回、勝手に参加しているトライアスロンチーム「ポセイ丼」から、完全に粛清されるようです。

一度、起こしてしまった失敗について、本人は忘れていきます。
それは、自分を守るためであり、自分にとっては消したい過去であるから。

しかし、相手は忘れない。
それは、相手にとっては、自分を守るための本能だからです。
こいつが同じことをまたやったら、自分が不快になる。

自分がたった一度と思っていたこと、そんな小さなことと思おうとしていることでも、相手にとっては、非常に大きいことなのだ。
自分にとっての当たり前で考えてはならない。
相手の気持ちになって考えなければならない。
まわりの状況を見極めねばならない。
ぼくの常識は、相手の非常識なのだ。
この1分は、相手が必死で仕事のやりくりをして、自分の楽しみを我慢して、捻出した1分なのだ
命はカウントダウン、
その命を何に使うかを決めるのは、それぞれが判断すべきことなのだ。

組織、チームには目的があり、その場にいる仲間であろうとするのであれば、それ相応の貢献が求められる。

失敗したとしても、何らかの貢献があれば、それは許される。
メリット>デメリット
でなければ、一緒にいる価値はないのだ。
こいつと一緒にいてもメリットがない(むしろ不快である、搾取されるだけ)と考えるのであれば、距離が置かれる。

どの組織においても、フリーライダー、クレクレ星人は必要とされない。

では、どうするか。

その場で自分が何の価値を提供できるのか考え、そして、その価値を提供するために行動する。
もしくは、離れる。

というか、ぼくはポセイ丼では、色々やらかし過ぎてるので、すでに馘首されているんだった。

まぁ、また、いつか別のところで会ったときに、De部でもすげーって言われるように練習しよ。

さぁ楽しくなってきた。

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今日のラン 3.8km(松陰神社往復)(月間目標 85,9km/200km 2月28日まで)

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ここでブータレとったらあかん。

僕らは競争の世界に生きている。

強いものが勝ち、弱いものが負ける。
強い弱いは力の強さだけではない。
どうやって、対象の人の記憶に残るかの勝負をしている。

どうやら、まわりが思っている当たり前の配慮が、僕にはできないらしい。
別にあきらめているわけではないのだが、人として致命的と言われれば、そうなのかも知れない。
別に自分だけが、しんどい思いをしているとも思わない。
生きていれば、人それぞれの苦しみの中を生きている。

みんなまわりにしんどい姿を見せないようにし、必死で歯を食いしばっている。

一人で立とうとしている。
それが自立だ。

まだ足りないのはわかってる。
まだまだ、努力が足りていない。

一人で立てていない。
認識はしとる。
けれど、ここでブータレとったら、あかん。
もうえぇ、好きなだけ笑ろとけ。馬鹿にしとけ。

あがいて、あがいて、あがいたらぁ。

出すことが大前提

どうも、チーム熊のCMO(Chief Magotuki Officer)の熊です。

本日は、トライアスロンチーム、「ポセイ丼」の新年会・決起会PART2に合流してきました。

このチームには、優秀で結果を出されているビジネスマンが所属されているので、ここぞとばかりに、最近のというか、昔からの課自分自身の課題について質問してきました。

「ぼくは、沢山、本は読んできたんですけど、色々手を出しすぎて、とっちらかって、結局これって何か意味があった?って、感じることが課題なんです。皆さんどうやって、本の定着率を高めてますか?」

ということを、メンバーに聞いてみました。

元帥:「書いてあることをやりゃいいんだよ」

さすが、黒くてマッチョな元帥。自分でもビジネス書と何冊も出され、年間300冊以上の本を読む元帥。考え方伝え方もマッチョです。ぼくを甘やかさず、ビシビシ教えて下さいます。

裏に流れる文脈は、下記。
「定着率とかごちゃごちゃ考えて時点であかんねん、いいからやれ。そしたら、経験にともない、必要なことは覚えるから。そして、それが本当の定着」
愛しか感じられない返答でした。

えぇ。。。さん(敏腕IT系中小企業診断士):「最近は流し読みが多いかな。最近は余り意識していないかも」
仕事も発言もロジカルでクールなえぇ。。。さん、流し読みとか言いながら、きっとその流し読みは、ぼくの流し読みとは違い、ロジカルに脳内で整理しながら、流し込んでいるのでしょう。

教官(早起き複職コーチ):「流し読みが多いですね。必要なところは折っておいて、捨てる前にもう一度読むぐらいでしょうか。昔は、ノートにまとめていましたけど、時間かかりますしね。今はやってないです」
初めてお合いしたとき(今でも)は、朴訥という印象であった教官、習慣化として取り組んでこられたことを少しずつ取り組み、夢を実現されている教官。きっと、専門としてる習慣化、コーチングに紐付けて流し読んでいるのでしょう。

ザック(大手資格取得学校講師):「流し読みですね。線とか引きながらですけど、流して読みますね。必要なところだけをノートに書き留めたりもしますかね」

(ちょっと考えたあとで)

「そういえば、本で読んだことはすぐに授業で使いますね。本を読みながらも、何が受験に使えるか常に考えているかも。その問題意識があれば、どんな本でも学びがあるし、何回読んでも、その時々でいろんなことが学べますよ」

このザックの答えを聞いて、「ああ、そっか」と腹に落ちた気がしました。
この4人は、全員がブログを書いていて、そして、別途仕事では、誰かに自分のスキル、仕入れたものを、誰かに伝えるということをなりわいにしている方々です。
だから、常に出すことを前提にすべてのインプットが規定される。
元帥も、ブログの中で、出すことのないインプットなど意味がないと書かれていました。

比べて、ぼくはといえば、自分の問題を解決するために、本を読み、そこで止まっていました。どこかに出すというアウトプットの場が全くありませんでした。(といううよりも、めんどくさいとブログを書いてないことが原因です)

そして、何を誰に対して出したいのかという自分なりの考えすら持っていない状況でした。これでは、本の著者と対話するのではなく、著者の思考をトレースしてるだけで、自分の考えを深めることなく、本に書いてあることが正しいという教科書人間になるための手順を踏んていたのでした。

有名な一説ですが、ドイツの哲学者ショウペンハウエルは、「読書について」の中で、こう書いて言います。
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読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるに過ぎない。

(中略)

ほとんどまる一日を多読に費やす勤勉な人間は、次第に自分でものを考える力を失っていく。(中略)しかしこれこそ、大多数の学者の実情である。彼らは多読の結果、愚者となった人間である。
(中略)
絶えず読むだけで、読んだことをあとで考えてみなければ、精神の中に根を下ろすことなく、多くは失われてしまう。
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出す場はここにある。

ぼくと同じように「他人との比較」「自分との理想とのギャップ」に、悩み、苦しんでいる人に、届ける。

自分のフィルターを通して、アウトプットしよう。
いいから、出せ!!!

2度とない人生だから、さぁ楽しんでやってみよう。

皇居ランで気づいたこと

本日は、サムライ塾で一緒にステコミをやった、タクとヒカルと皇居ラン。

二人共、同じくステコミをやった、ヤスにそそのかされて、野辺山ウルトラマラソンをノーポチしてしまったいい意味での馬鹿な人達です。

タクは、トライアスロンのオリンピックディスタンスも完走しているし、基礎体力は十分あると思います。
ヒカルは、まだフルマラソンを完走したことがないと言っていたので、これからどれだけ伸びてくるのかが楽しみです。

って、上から目線で書いてみましたが、一番完走の可能性が低いのが、ぼくなんですよね。
一昨年、去年と79km→42kmと順調に到達距離を短くしてきております。
純粋に怠惰による練習不足と太りすぎが原因です。

今年は、昨年11月に足が動かないというトラブルからどれだけ復帰できるかというのチャレンジと、広島に帰ることを考えて、野辺山はラストという2つのチャレンジを達成します。

野辺山100kmを完走するために、どれだけ準備をするか、何をするのか、選択する必要があります。
現時点では、スピード連よりも、身体を作ること。
月間200kmを目標に少しずつ走るしかありません。

少しずつ頑張ります。

という個人的な目的も有り、野辺山100k初挑戦の二人を無理やり皇居ランに誘い、自分が逃げ出せないようにしました。

タクは、ともかく、ヒカル10km走ったことがないと言っていたので、楽勝で勝てると思っていたのですが…。

俺、まだ、ボンコツ…。

10km走った時点で二人についていけなくなり、二人の背中は遥か彼方…。
そういうときこそ、素晴らしきかな思考。すぐに答えを出します。

大丈夫。結局ゴールするところは一緒。早くても、遅くても、それぞれに良さがある。

頑張らない理由を瞬時ではじき出します。

そして、気持ちよくウォーキング。

ウォーキングをすれば、するほど、脳内の思考は自分を苦しめる。

「これって、人生と同じじゃない。
お前は、自分のペースっていいって、それでいいと思ってるけど、タクとヒカルは、お前の2倍以
上のペースで頑張って走ってるよ。一生追いつけないねw。
しんどいって只の甘えじゃない???
おっしゃる通りだ。頑張らなければ、置いていかれる。
でも、辛い。しんどい。今はまだ追いつけないだけだ。
現時点を今日でぼくは知ったんだ。まだまだ弱いと。
これから、練習すれば、100kmも完走できる。

そんなことを考えながら、ウォーキングしていたら、タクが心配して、逆走してきてくれた。

「ヒロ、行くよ!!」
「あそこまで、ダッシュ!!」

ぼくはその声に励まされて、数百メートルをダッシュした。
ゼーハーゼーハー言いながら、必死で走った。
タクにはついていけなかったけど、それでも、気持ちよかった。

僕は、一人では絶対に頑張れない。
無理だ。完璧に甘える。

今までずっとそうだったし、今日のランニングで確定した。追いつけなくても、自分らしく、、、もういいやってなる。

けれど、今日はタクがいたから、ダッシュが出来た。

一緒に頑張りたい仲間がいるから、頑張れる。まだ行けるって言われるから頑張れる。

広島に帰ったら、コーチをつけよう。自分一人では頑張れない。
ぼくは強くない。

これからのやること。
ランは純粋に200kmをちゃんと走る。
バラモンに向けては、スイムは週1回、バイクも週末にトライミングで練習する。
さぁ楽しんでやってみよう。

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昨日のラン 10km(松陰神社→駒沢公園)(月間目標 62.1km/200km 2月28日まで)

今日のラン 20.00km(皇居ラン4周※歩いたけどね)(月間目標 82.1km/200km 2月28日まで)

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新興宗教のお誘いをうけたよ

先日、出会った方に新興宗教・仏法?のお誘いを受けました。

自分で独立されており、仕事もバリバリやられていて、論理的で愛情もあり、頭もすごくよい方。

そんなぼくからすると、あこがれの人で、

なんでこんな人が宗教にハマってるの???って感じの方です。

 

「なぜそれに入ったんですか?」とお聞きすると

「信頼する友人の紹介」と

「死後の世界が怖かった」と言う事でした。

 

その仏法の行を行えば、死後の世界で六道輪廻からの脱却が約束されるという内容。

詳しく修行の内容は話せない。とりあえず、やればわかるというお話

 

僕自身が求めている仏教とは、自分も癒やすし、それを学べば他の人も救えるということ。
というよりも、宗教とはそうでなければならないと思っています。
その行を受けた人だけが幸せになるなんて、おかしすぎる。

 

どのような内容が行われるのか、一度、上の人に会ってみようかとも思ったのですが、
試すなんて考えておきながら、会ってしまうと確実に言い込められると思ったので辞退しました。

 

そんなこんなで、新興宗教にははまらずにはすんだのですが、
ここで面白いなと思うことは、
仕事もバリバリやっていて自分で独立起業しているような人でさえ、
新興宗教というものに入るってしまうのか、ということ。
現世での仕事に対しても不安なく、活動している人がなぜ…。

「恐怖を使って人を操ること」
マーケティング手法的には、有名な方法なのだと思うのですが、
現実ではなく、死後の世界を使ってでも恐怖を煽って、購入に結びつけるとは、
その方にとっては、36万円は安心料金なのかもしれません。

 

30万払って、3日間道場に行ったとしても、それだけでは変われない。
自分自身が毎日毎日積み上げることが大切です。

 

自分自身も含め、人は常に「いまここ」ではなく、
将来について頭を悩ませて、妄想しているのではないかと考えます。
将来の仕事、将来の世界、将来の姿、まわりの人達のとの比較。
結局、「いまここにいる」と言うことが全てに対してニュートラルでいるのだと思います。

もちろん、未来に備えて準備することは大切ですが、準備ができていないと、焦ってパニックを起こしても、
いまできることしかできない。

 

現実は、現実として捉えるけれども、
伝えられてきている情報をどう捉えるか、
相手がどのような意思をもって、聞く、読む人をコントロールしようとしているのかを学ぶ。
自分の視点自体がフィルターであるということを忘れない。

自分のフィルターだけではなく、信頼できる友人に聞き、沢山のフィルターをかますこと。
そして、最後は自分が「何のために生きているのか」で決めること。

 

さぁ楽しんでやってみよう。

自分が有りたい姿に向かって、少しずつ進んでいく。

自分の好きなことを書いていても、

それが人に届かなければ、伝わらなければ意味がない。

自分が何を考えて、何を求めているか。

自分の頭の中で考えていても、何も変わらない。

書きたいことがあるのであれば、それを書く。

今、自分がいる「いまここ」場所で最大限のことをする。

今、自分が求められている場所で全てを発揮する。

すこしでも行動を起こすことで、気をつけることで、少し自分の世界の見方が変わる。

世界が変わるのではない。世界を見る目が変わる。

自分に対する評価は、自分で決めるのだ。

 

少しでも、いまここで時間、空間を共有している人と、

苦しい時のあるけれども、未来を見つつ、善い方向に進んでいけばいい。

その場にある空間を全力で満喫する。

過去にも未来にも、とらわれない。

 

目標がなければ、どこに向かうのかがわからなくなる。

今、自分がいる場所を正しく認識する。

この状況から、少しでも自分がより良いと思う方向に舵をきる。

 

自分が有りたい姿に向かって、まごついてるとか言われても、

少しずつ進んでいく。

 

さぁ、楽しんでやってみよう。

自分は自分でしかない。

諦めよう。

自分以外の何者かになろうとするのは。

今更ながらだけど、僕は僕、あなたはあなたでしかない。

ぼくはぼくで、あなたはあなたで、同じの人ではない。

特別な人でもない。

特別な人だと思うから、しんどいのだ。

普通の人だ。凡人だ。

だから、自分の目標に対して、自分がしんどいなぁと思うことは、頑張らないとできないし、

習慣にしないと身体は動いてくれない。

今まで通りの妄想総選挙をしていても、何も変わらない。
テレビを見ていても、漫画を読んでいても、寝ていても変わらない。
変わらないことは、凄いことなのだ。

自分自身を守ってくれているんだ。
自分で有り続けようとしてくれているんだ。

それなのに、別の人になりたいなんて、今の自分が可哀想だとは思わないかい。

自分は自分。

他の人と比べる必要なんてない。
比べるなら、昨日の自分と比べて、少しだけでも成長しよう。

二度とない人生だから、さぁ楽しんでやってみよう。