自分が有りたい姿に向かって、少しずつ進んでいく。

自分の好きなことを書いていても、

それが人に届かなければ、伝わらなければ意味がない。

自分が何を考えて、何を求めているか。

自分の頭の中で考えていても、何も変わらない。

書きたいことがあるのであれば、それを書く。

今、自分がいる「いまここ」場所で最大限のことをする。

今、自分が求められている場所で全てを発揮する。

すこしでも行動を起こすことで、気をつけることで、少し自分の世界の見方が変わる。

世界が変わるのではない。世界を見る目が変わる。

自分に対する評価は、自分で決めるのだ。

 

少しでも、いまここで時間、空間を共有している人と、

苦しい時のあるけれども、未来を見つつ、善い方向に進んでいけばいい。

その場にある空間を全力で満喫する。

過去にも未来にも、とらわれない。

 

目標がなければ、どこに向かうのかがわからなくなる。

今、自分がいる場所を正しく認識する。

この状況から、少しでも自分がより良いと思う方向に舵をきる。

 

自分が有りたい姿に向かって、まごついてるとか言われても、

少しずつ進んでいく。

 

さぁ、楽しんでやってみよう。

自分は自分でしかない。

諦めよう。

自分以外の何者かになろうとするのは。

今更ながらだけど、僕は僕、あなたはあなたでしかない。

ぼくはぼくで、あなたはあなたで、同じの人ではない。

特別な人でもない。

特別な人だと思うから、しんどいのだ。

普通の人だ。凡人だ。

だから、自分の目標に対して、自分がしんどいなぁと思うことは、頑張らないとできないし、

習慣にしないと身体は動いてくれない。

今まで通りの妄想総選挙をしていても、何も変わらない。
テレビを見ていても、漫画を読んでいても、寝ていても変わらない。
変わらないことは、凄いことなのだ。

自分自身を守ってくれているんだ。
自分で有り続けようとしてくれているんだ。

それなのに、別の人になりたいなんて、今の自分が可哀想だとは思わないかい。

自分は自分。

他の人と比べる必要なんてない。
比べるなら、昨日の自分と比べて、少しだけでも成長しよう。

二度とない人生だから、さぁ楽しんでやってみよう。

UQモバイルに変更しようとしていた件

家の携帯電話の電波が異常に悪い。

家の中にいるのに、電波が1本。

格安SIMのIIJを使っているのだが、

回線はdocomo。

auを使っていたときは、バリバリ4だったので、どうやら我が物件ではdocomoは電波が弱いらしい。

docomoに直接契約しているのであれば、家の中で電波が弱いときに、電波拡張機なるものを貸し出してくれるらしいのだが、あいのり回線の格安SIMなので、その方法は使えない。

そこで、格安SIMはそのままに、au回線を変更しようと思った。

IIJ内では、ナンバーポータビリティーを使って、docomo→auへは変更出来ないらしい。

それでは他の格安SIMに移行しようと、検討した結果、UQモバイルであれば、auの回線が使えて安いとのこと。
UQモバイルに変更するというタスクが作製された。

 

昨日、別件でビックカメラに行く。
ビックカメラでもUQモバイルに変更することができることを知る。
よし、やろう。

すべての書類にサインし、契約直前に、一応確認しておこうと出てきたことばが、

私「docomo回線を使いたいのですが、docomo回線はつかえますか?」

UQモバイル担当「UQはauだけですよ!」

私「え!!!、docomoに変えようと思っていたのに、、、わかりました。他社を検討します」

 

一晩たち、携帯見て、電波のところにdocomoアンテナ1本が立ってることをみて、思い出した。

俺「docomoからauに変えたかったんじゃん…」

 

記憶に頼らない。
やりたいことは、内容メモっておく。その事について話すときには、メモを確認してから、話すこと。

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記憶に頼らない。

メモをちゃんととって、メモを見てから、話すこと。

踏まえて乗り越えた先には何があるのか?

自分の機嫌を取るのは自分。
自分の力を信じるのも自分。
自信を持つのも自分。
上手くいかなかったからといって、今までやってきたことも間違いではない。
もう一方だけが、正しいと考えるな。

今までの方法を踏まえて乗り越えることが大切なのだ。
時代は弁証法的に進行している。

初めは個人がそれぞれの場所で、地域の人達とのつながりをもって、それぞれの商売をしていた。

大型店が出現し、価格を押さえた均一の商品を販売するようなった。

小型商店は、楽天などのネット上に仮想店舗を持つようになり、全国を相手にして
自分の世界観を理解してくれる人を対象としてつながりを持ち商売を始めた。

 

では、これから、僕がやろうとしている農業ではどうなのだろうか?

 

まだ、答えはだせていない。
でも出す。

 

二度とない人生だから、さぁ楽しんでやってみよう。

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今日のラン 24.20km(足柄峠@山北)(月間目標 52.1km/200km 2月28日まで)

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時間は概念

本日は、5時に起床。

明日の峠ランの練習のため、白川治療院に行きたい。
朝、6時半に先生の携帯にメッセを送る。
もちろん失礼なのだとは思うのだが、前回行ったときに、携帯のへのメッセでもいいですよ、との言葉を頂いていたので、
とりあえず送ってみる。

午前中なら空いているとの連絡をいただく。

危なかった。10時の開店に合わせて電話をしていたら、
確実に間に合わなかった。

神様ありがとう。

11時に予約したので、10時に家を出ることにする。
googleマップでは、10時41分に着くとの結果がでた。

ちょっと早いかな…。
と思ったけれども、少し待てばいいやと、10時に家を出る。

電車の中で、ハンターハンター35巻を熟読。

新富町を乗り過ごす。
乗り過ごした直後に気が付き、次の駅ですぐに引き返す。
10時50分の電車に乗る。
駅に到着。
どの出口が一番いいのかわからなかったので、とりあえず、目の前の出口ででる。
地上に出た後で、Googleマップで確認。
治療院を目指して歩く。

本当に11時ジャストに到着。


このときに頭に浮かんでいた本の内容がある。

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例えば、午前9時までに目的の場所に着かなければならないとします。
しかし準備をして家を出るまで、あまり時間がないと考えている時、時間ばかりを気にして、時計チラチラで身支度をするよりも、「9時には着こう」と一度だけ決めて、あとはひたすら身体が行なっている目の前の準備をひとつずつ丁寧に行なっていくのです。

途中の電車の乗り換えがやけにスムーズだったり、バス停についたとたんにバスが滑り込んできたりして、まるで宇宙の応援を受けているような流れが出来て、結果9時に着きます。

中略

 

時間はありません。  理論めいたことではなく、そう出来ているようです。体験を繰り返すと理由なくそうであることが腑におちてきます。

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『私』というドラマの向こう側 ――

「新」スピリチュアル読本: “現実”という概念と“外側の世界” それを統合する非二元という全体性。 織りなされる「生」という名の創作ドラマ。

安元 敦子

より引用。

 

多分これと同じ現象だな。
全然、身体に集中してなかったけど、クラピカに首ったけだったけど。
多分そうだ。
そうだ。
きっとそうだ。


二度とない人生だから、さぁ楽しんでやってみよう。

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今日のラン 0km(月間目標 28.9km/200km 2月28日まで)

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自分がパンパン病であることを認識する。

僕には癖がある。
仕事を両手じゃ抱えきれないほど、うけてしまうことだ。

バックオフィスを一人でできるようになる!!
って思っていたけど、
純粋に「一人でできる量ではない」
ということに気がついた。

そして、人にお願いすることが大切と考え始めたのだけれども、
その中でも自分のメンタルブロックがあって、
・アウトソーシングする→経費がかかる→利益減る→評価下がる→自分でやろう

という思考が働いていた。
いいや、もっと単純。

・アウトソーシングする→自分の死事無くなる→給料下がる→嫌だ→自分でやろう。
だ。

もしくは、

・バックオフィスはお金を生み出していない→経費をかけないことが素晴らしい→自分でやろう


水が満杯に入ったコップに、新しい水は入らないように、
パンパンのところに、次の志事は入りません。
新しいものを入れようとするならば、今まで持っている物を誰かにお願いしなければならない。


時間密度を上げることで対応できるかと思っていたけれども、どうやらそうではない。
自分自身の思考の癖のようだ。
スケジュールパンパンじゃないといけないというパンパン病。

僕の事を知る人に、相談しよう。
「仕事量はお前しかわからんのだから、お前が考えろ」
と言われたとしても、

「自分の計算では、パンパンになりますが、対応できると思っています。
けれど、今までの僕の仕事ぶり、思考の癖をを見ていて、客観的にどう思われますか?」
そう聞けることこそ、自分が見えているということなのではないだろうか。

「書きたいこと(結論)を決めてから書き出さないと、何がいいたいのかがよくわからない」ということがよく分かる文章

人は誰しも自分を持っています。
自我と言うやつです。

他人と自分は違うという認識です。
そして、その中には、自分は特別でありたいという自己に対する価値観も持っていると思います。
生まれてきたのだから、人の役に立ちたい、誰でもいいから誰かにとっての特別なものになりたい、
という考えです。
そして、もしもリスクをとって失敗したら、今の自分では無くなってしまうという考えも持っています。
ホメオスタシス(恒常性)、現状維持メカニズムのことです。
特別なものになりたいという気持ちを持ちながら、今の自分のままでいたい。
その考え方が、朝起きたら、特殊能力が身についていた、何か特別なものに変わっていた、という変身願望に繋がっていくのでしょう。

その気持が良い方向に働くこともあるでしょう。
その気持が悪い方向に働くこともあるでしょう。

良い、悪いという考え方自体は、相対的な考え方です。
絶対的な良い悪いはない。
世の中の全ての心理を悟ったのであれば、
特別な自分などないと認識できるようになるのではないでしょうか。

今の自分の足元にあるものを大切にすること。

照顧脚下(しょうこきゃっか)


二度とない人生だから、さぁ楽しんでやってみよう。

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今日のラン 0km(月間目標 28.9km/200km 2月28日まで)

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スピ系を信じるけど、信じない。

人知を超えたもの(サムシング・グレート、神、霊、死後の世界)などなど、
今の自分に、その他の人達にも認識できないものは、多々あるのだと思います。


実際、未来、過去については、思考が生み出した幻想であることもわかります。
それが恐怖を生み出すことも、淡い期待を持たせて、現実を希薄化させていることも、認識できてきました。

ただ、現在の行動を元に出てくる結果というのは、多分に大きくはずれないことは確かです。

今までと全く同じ行動をして、弁護士になることはできません。
弁護士になりたい!と理想を頭に描きながら、潜在意識にまで叩き込むほど、思っている人が、毎日何時間も勉強するからこそ、試験に合格されるのでしょう。
思考は現実化するというのは、本当のことなのだと思います。思考を現在まで落とすことが必要なのだと思います。
理想をイメージすることは、エネルギーです。


そして、いまここも現状維持というエネルギーを持っています。
理想のイメージのエネルギーを少しずつ、いまここに加えていくことで、少しずつ理想に近づいていくのだと考えています。

 

ここまでは信じる理由です。

ここから信じない理由になります。


スピリチュアル系には、「私には見える、わかる」って方がいます。
実際、本当にその方には見えているのだと思います。
残念ながら、僕には今は見えないので、その言葉を否定することはできません。
(というよりも、ないものをないと証明することは「悪魔の証明」と言われるぐらい困難です)
そして、相手は、自分にしか見えていないという有利な立場+相手の心をコントロールする術にも長けている。
こうなると、すべて相手の場になってしまいます。


信じていまいが、「あなたの人生に悪いことが起きます」と悪いことを言われれば、それを除こうとするのが人の心です。
そこまで高い金額でなければ、払う人もいるかもしれません。
安心を買ったとするのです。

問題は、本当に信じ、それを買わないと幸せになれないなどの強いコントロールを行ってくる場合です。
比較対象がないので、自分には値決めする権利がなく、すべて相手の言いなりです。

そして、既にそういう高価なバックエンド商品を出してくる時には、消費者の教育は完了しています。
価格交渉権がまったくない場面でお金のやり取りをすることの愚。

もちろん、信じる者は救われるということもありますので、すべてが悪いというわけではありません。
一番の問題は、幸せを得る方法を相手に全て委ねてしまうことなのだと思います。

 

二度とない人生だから、さぁ楽しんでやってみよう

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今日のラン 9km(月間目標 28.9km/200km 2月28日まで)

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禅について、僕の理解

サムライ塾で禅を習い始めたのですが、
そのときには、ほとんど理解ができていませんでした。

理解することではないと、近藤さんに怒られそうですが、
今の僕の禅に対する理解を記しておきます。

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人は思考によって、世界を認識し、自分だけの世界を生きている。
誰かと同じものを見たとしても、それぞれの認識、観念、解釈によって、見ているものが違う。
たとえば、エスキモーには雪を見分ける言葉が50あるという、津軽の人には7つの雪の種類があるという。
僕は「こ~な~ゆき~」ぐらいしか知らない。
同じものを見たとしても、人のそれぞれの背景による解釈があるということだ。

そして、過去、未来も、実は考えることによって、その人の頭の中で生じているのだから、これも思考である。

座禅とは、思考を止める訓練であり、過去も、未来もそれらは全て思考であることに気づくための訓練である。

そして、その思考を止める訓練(座禅)を繰り返すことにより、全ての不安、恐れ、恐怖などの苦しみは、

過去、未来に対する思考から生じていることを認識することができるようになる。

その結果、自分がいる「今、ここ」しかないことを感じる事ができる。

また、今、僕が見ているものは実在しているが、見ていないものは存在しないのだ。
見えているもの以外はすべて思考である。

また、見えているものも自分自身の認識、観念という思考から生じているものであるから、
すべては「ない」とも言うことができる。

だからこそ、思考に縛られるのではなく、「今ここ」を全機現で生ききることが大切なのである。

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うん、書いてみたけど、理解できてないね。。。

少しずつ書いて整理していきます。

 

二度とない人生だから、さぁ楽しんでやってみよう。

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今日のランニング 10km


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